宗教や信仰についての雑記 #198
◯と金
前回、サミュエル・ウルマンの「青春」という詩について書きました。
その詩の中では、心配、恐怖、自己不信、悲観主義に囚われれば20歳でも年をとる、といった意味のことがが記されていました。
しかし、考え方によっては、心配や恐怖、悲観主義は慎重さに、自己不信は謙虚さに捉え直すこともできると思います。
将棋の「歩兵」という駒は一番弱いものですが、敵陣に入ってひっくり返ると「と金」という駒に成ることができです。
この「と金」は「金将」という駒と同じ動きができるそうです。つまり、一番弱い「歩兵」が非常に強い「金将」のように変わるのです。
信仰にも同じようなことがあるのではないでしょうか。
親鸞聖人の言葉に「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というものがあります(法然上人の言葉という説もあるようです)。
また、聖書の中でパウロは「主の力は弱さのうちに完全に現れる」と言っています。
信仰を持つことにより、目に見えない大いなる指し手が、私という弱い駒を必要なときに返して強くしてくれる、そんなイメージが湧きました。
世の中はとどまることなく常に動いています。それまで弱さと思っていたもの、自分にとってマイナスとみなしていたものが、強さやプラスへと変わる可能性は決してゼロではないでしょう。信仰がその可能性を高めてくれるのかもしれません。
そんなふうに、前向きな気持で生きてゆきたいです。