宗教や信仰についての雑記 #348
◯異文化への配慮とバランス
前回、飯山陽氏の主張について考えましたが、今回もその続きです。
飯山氏は、行政が国内に住むイスラム教徒に配慮するあまり、日本の文化が破壊されてしまうことを懸念しているようです。
これはとても難しい問題のように思えます。守るべき日本の文化とは何か、イスラム教徒への配慮をどこまで許容するのか、そのようなことは個々人の価値観が深く関わっていで、様々な意見があると予想されます。
ですからそれは、おそらく絶対的な答えのない問題なのでしょう。言い換えれば、数学の問題のように唯一の確たる答えのある問題ではない、ということなのだと思います。
無論、迷惑行為を許してはならないでしょうし、違法行為は法律に基づいて適正に取り締まり、処罰しなければならないでしょう。しかしそれ以外にも、どこまでが適正な対応で、どこからが不当な差別か、判断の難しい問題が多数あるのだと思います。それらについてはケースバイケースで議論し、考えてゆかなければならないのでしょう。
そのような問題に関して、ひとつ気になることがあります。
それは、以前の投稿(#314)でも書きました、自己カテゴリー化理論と最小グループパラダイムということです。
自己カテゴリー化理論とは、「人は自分自身をどの集団に属しているのかを意識し、その集団の一員としての行動をとる」という考え方です。
そして、最小グループパラダイムとは、心理学の実験手法の一つで、人々がいかに簡単に「自分たち」と「他人」をグループに分けてしまい、その所属するグループを優先的に評価するようになるかを示すものです。
これら2つの概念から言えるのは、
・人は状況に応じて、自分自身を特定の集団の一員として認識する
・ごくわずかな違いでも、内集団と外集団を区別し、内集団を優位に見る傾向がある
ということで、これらは2つの事柄は、差別は特別な状況や対立がなくても、ごく自然に生じる可能性があることを示しています。
自国の文化を守るために、イスラム教徒への配慮について、ある一定のラインを引くことが必要な場合もあるでしょう。しかしそれと同時に、人は皆、自分と異なるカテゴリーに属すると判断した者を差別しやすくなる性質を持っているということを、常に自覚しておく必要もあると思います。
その自覚がイスラム教徒、さらにはその他、異文化の人々への不当な差別を防ぐ防波堤になるのではないでしょうか。
私たちは自国の文化を守りながらも、そのような面でも、心のバランスを保ってゆかなければならないのだと思います。