宗教や信仰についての雑記 #193
◯神が死んだ後に
前回、「神は死んだ」理由はそれだけではないような気もすると書きました。
そのもう一つの理由はやはり、宗教や信仰による弊害ということだと思います。
理不尽な宗教裁判や宗教戦争、植民地主義、様々な偏見や差別、合理的・科学的思考の阻害、精神的支配や個人の自由の制限など、宗教や信仰による弊害が多々あったからこそ、一旦神は死ぬ必要があったのでしょう。
でもその一方で、宗教や信仰の喪失による弊害として、生きる意味やアイデンティティの喪失、倫理・道徳感の欠如、コミュニティの喪失、あるいはそれらが複合したことによる精神的健康への影響といったことがあるのも事実だと思います。
そうであるならば、宗教や信仰による弊害と、その喪失による弊害との両方を経験した、現代の社会に適合した信仰の形とはどのようなものなのでしょう。
その要点を挙げれば、
・多様性への寛容
・個人の主体性の尊重
・社会への貢献
・科学との調和
・実践しやすさ、身近さ
といったことなのでしょう。
ここで一番のネックとなることはやはり、「多様性への寛容」ということだと思います。
信仰とは絶対的なものへの帰依という側面が大きいので、そのことが結果的に多様性への寛容を阻害してしまう要因になることが多いでしょう。
それを克服するためにはどうしたらいいのでしょうか。難しい問題だと思います。