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宗教や信仰についての雑記 #220

◯くだらない

子供の頃、テレビでSFアニメなどを見ていたら、親から「くだらないものを見るな」とよく言われました。
この「くだらない」という言葉は、ご存知の通り、まじめに取り合うだけの価値がない、程度が低くてばからしい、などの意味を表しています。

この言葉は江戸時代に、灘など上方で醸造され下ってきたものは良い酒だが、下ってこない江戸の地酒はぐっと品質が落ちるため、大したことのないものを「くだらない」と言ったことに由来するそうです。

でも今では、関東でも質の良いお酒は沢山造られているでしょう。また、昔はくだらないと言われたマンガやアニメも、今日では日本を代表するコンテンツとなっています。

この「くだらない」という言葉は特定の価値観を表していますが、その価値観とは時代や状況によって変化する、相対的なものであるとも言えます。

そのことは、例えば自然との関わりで言えば、人間から見れば取るに足らないと思われる生物種でも、精妙なバランスの上に成り立っている生態系の中で重要な役割を果たしているということがよくあるようです。
また、家庭や職場、訓練や研究の場でも、どうでもいいと思うようなことが、意外と重要な意味を持っていたりすることもあると思います。

そして宗教的な観点から考えると、「くだらない」という言葉は、世俗的な欲望や執着への警鐘とみなすこともできます。
聖徳太子の「世間虚仮、唯仏是真」や、イエスの「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」という言葉は、世俗的な価値観へのアンチテーゼのようです。

しかしその一方で、 「くだらない」という感覚が極端になると虚無主義につながり、人生に意味を見出せない、あるいは、人生に意味などないと感じてしまう可能性もあります。

かつて「くだらない」とみなされた関東の酒や、マンガやアニメも、今では決して「くだらない」ものではありません。
人間は自らに意味を与えることができる存在でもあります。つまり、「くだらない」と感じる状況であっても、そこに(ときには世俗を超えた)新たな意味を見出すことができるのです。
「くだらない」という言葉のうちには、そんな希望の灯火が宿ってもいる、そんなふうに思いたいです。

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