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宗教や信仰についての雑記 #298

◯見ることと聞くこと

今回も前回に引き続き、見ることと聞くことについて、慈悲や愛という観点から考えてみたいと思います。

まず見ることについてですが、「みる」という言葉には「見る」「観る」「看る」といった異なる漢字が当てられることがあります。
「見る」とは、最も一般的で、無意識的な視覚行為を表すことが多いものです。
「観る」とは、意識的に対象に向き合い、じっくりと観察したり、鑑賞したりする 場合に使われます。
「看る」とは、主に人に対して使われ、世話をする、見守る といった意味合いが強い言葉です。

これら「みる」ことを慈悲や愛という観点から考えると、相手が何に対して悲しみや悦びを感じるのかよく観察すること。そしてその様子を見守り、その悲しみを弱めたり悦びを増したりするように行動すること。そのような意味が導き出されます。

次に聞くことについてですが、「きく」という言葉には「聞く」「聴く」「訊く」といった異なる漢字が当てられることがあります。
「聞く」とは、最も一般的で、意識せずに聞こえてくる場合や、漠然と聞き流す場合にも使います。
「聴く」とは、耳を傾けて、注意深く聞き取ろうとすること。積極的に情報を吸収しようとする場合に使います。
「訊く」とは、質問すること。何かを知りたい、確認したい時に使います。

これら「きく」ことを慈悲や愛という観点から考えると、相手の心の内にある思いを傾聴すること。そして何をしてほしいのか、自分にできることはあるかを訊いて行動すること。そのような意味が導き出されます。

このようなことは人間関係を円滑にするためには大切なことなのでしょうが、これらのことを行うには、行う側に心の余裕や心の平安がなければなりません。しかし時間に追われることの多い現代の社会においては、そのようなものを持つことはなかなか難しいのも現実でしょう。
ですからまずはこれら「みる」「きく」ことを、自分自身に対して行なうことが重要になってくると思います。
それは精神医学で言うセルフケアやとか、祈りや瞑想とかいったものに近いものなのかもしれません。

普段何気なく行っている見ることと聞くことの中に、慈悲や愛という視点を伴わせることは、心が殺伐となりやすい現代社会では、より必要性が高くなってきているように思います。

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