確率について
天気予報の降水確率を見たとき、一体何%以上になったら傘を持っていくのがいいのか迷うときがあります。それで結局、折りたたみ傘をいつも持ち歩くことになるのですが、そうなると何だか天気予報を見る意味があるのかどうか疑問に思ってしまうこともあります。
確率とは、偶然起こる現象に対する頻度(起こりやすさの指標)のことで、偶然性や不確実性を表現するための重要な道具です。「偶然」とは、原因と結果の間に必然的な関係がない事象を指します。しかし、確率を用いることで、偶然的な事象の発生傾向を定量的に評価することができます。
しかし、人はしばしば確率の考え方を誤って適用して誤った推論をすることがあります。それは日常生活やギャンブル、意思決定など、さまざまな場面で起こり得るようです。その誤謬には主に以下のようなものがあるそうです。
・ギャンブラーの誤謬:過去の事象が将来の事象に影響を与えると思い込む誤謬です。
例えば、コイントスのような独立試行の事象では、過去の結果が未来の結果に影響を与えることはありません。
・ホットハンドの誤謬:スポーツなどで、ある選手が連続して良い結果を出しているときに、「その選手は調子が良い(ホットハンドだ)」と思い込み、その状態が続くと過大評価してしまう誤謬です。
・基準率の無視:ある事象の発生確率(基準率)を考慮せずに、特定の情報だけに注目して判断してしまう誤謬です。例えば、ある病気の検査で陽性反応が出たとしても、その病気の罹患率が低ければ、その検査結果が偽陽性で、実際に病気である確率はそれほど高くない可能性があります
・結合の誤謬:2つの事象が同時に起こる確率を、それぞれの事象が個別に起こる確率よりも高く見積もってしまう誤謬です。例えば、「リンダは銀行員である」という事象と「リンダはフェミニストである」という事象があった場合、「リンダは銀行員で、かつフェミニストである」という事象の確率を、「リンダは銀行員である」という事象の確率よりも高く見積もってしまうことがあります。
・サンプリングバイアス:母集団を代表していない偏った標本から情報を収集し、それに基づいて一般化してしまう誤謬です。例えば、インターネットアンケートの結果だけに基づいて、全体の意見を判断してしまうのはサンプリングバイアスの一例です。
・大数の法則の誤解:大数の法則は、試行回数を増やすことで、偶然によるばらつきが小さくなり、理論上の確率に近づくという法則です。しかし、少ない試行回数で理論上の確率に近づくと誤解したり、過去の結果が未来の結果に影響を与えると誤解したりするのは、大数の法則の誤解です。
以上のように、人は確率に関して様々な誤った見方をしてしまうようです。おそらくその背景には、人には偶然や乱雑さを厭う傾向がある、ということがあるように思います。
人は言葉によって世界を分析的に捉え、頭の中に再構築してそのモデルを作り上げます。そのモデルは乱雑さのない調和のとれたものであり、現実の世界もそのようであってほしいと、無意識的にでも願ってしまうのではないでしょうか。
そのような確率への誤謬の背景は、太古の人間社会に宗教が生まれた要因と、源を同じくするもののような気がします。
私たちの認識能力は不完全なもので、未来や世界のすべてを見通すことはできません。確率とはそんな不確実な状況下での意思決定を行うための道具です。
しかし確率は、すでに起きてしまったことに意味を付与することはできません。
過去の出来事を意味づけることも、不透明な未来について正しい推論をすることも、どちらも心の安定に寄与することだと思います。
ただ、そのためには、それら2つを切り離して考えることが重要なのではないかと思います。