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宗教や信仰についての雑記 #257

◯ワンチーム

以前、「ワンチーム」という言葉をよく耳にすることがありました。
この言葉は、チームや組織が一丸となって、目標に向かって協力することを意味しているそうです。
しかし現実には集団が大きくなると、その中に派閥のようなサブグループがいくつ生じてしまうようです。

我々人間は社会をつくる種族です。しかし、長い進化の過程で選抜され受け継がれてきた性質から考えると、その集団の規模は多くても二桁を超えることはないように思います。
そのような生来の性質から、いくつものサブグループが生じると、その中で階層や序列のようなものが形成され、特定のグループが下位のもの、卑しいもの、穢れたものなどとみなされることや、どのグループにも入れずに弾かれてしまう人が出てくることもあるようです。

二千年前にイエスが目を向けたのはそのような人たちでした。イエスが神の愛や福音を説いたのは、主にそのような人たちに対してであったと思います。
また、鎌倉時代に親鸞聖人が阿弥陀仏の誓願を説いたのも、そのような人たちに対してだったようです。
そして、仏教が滅尽を目指す苦悩(四苦八苦)の中には、怨憎会苦や愛別離苦(ときには五蘊盛苦も?)のような社会性から生ずるものも挙げられています。

遠い祖先から我々が受け継いだ性質は、ときに残酷な状況をもたらします。自然の摂理や進化の過程には人間の倫理は通用しません。そのことがときに人々に、その存在の意味や位置を見失わせてしまうのでしょう
宗教や信仰はそれらの間の齟齬を調整する役割があるのだと思います

そう考えると「ワンチーム」という言葉は、理想を示すと同時に、非現実的で形骸化する恐れもあります。そのような(良くも悪くも)二面性のあるところが、この言葉は宗教的なものであるような気もするのです。

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