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宗教や信仰についての雑記 #175

◯「奉じる」ということ

前回「奉じる」ということについて言及しましたが、「奉じる」という言葉は、単に「従う」とか「守る」という意味だけでなく、自分よりも上位にある絶対的な価値への服従という意味をも持っているようです。
そしてまた、より高次の価値に生きることによる自己超越や自己変革といったことも意味しています。

しかし我々には、永い進化の過程により獲得された、生存本能や種の保存の本能があります。
それらが所謂「我執」となって我々自身を強く縛っているのも現実だと思います。

「衆善奉行」が難しいのは、まずはその我執が強固であり、「奉じる」ということを阻害してしまうからなのでしょう。

また、「奉じる」ということは、ただ単に服従することだけではないと思います。
君主が過ちを犯したら、家臣はそれを諌めなければならないように、自分が信奉する価値がその時代や状況に合わずに、苦悩や不幸をもたらしているならば、その解釈を変更しなければならないということも、「奉じる」ということに含まれているのではないでしょうか。

その解釈の変更がうまくいかないために、他の価値と衝突してしまい、その結果、「衆善奉行」がなかなか実現できないというケースもあるように思います。

また少し長くなりそうなので、この続きは次回にしたいと思います。

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