宗教や信仰についての雑記 #238
◯知恵の樹
先日「知恵の樹」という言葉を耳にしました。
これは皆さんご存知のとおり、旧約聖書の創世記に登場する木です。
これは善悪の知識の木とも呼ばれ、神様はこの樹の実だけは食べることを禁じました。
アダムとイヴが知恵の樹の実を食べたということは、人間が神様の創造活動、あるいは宇宙の創造過程の一部に触れた、あるいはその一部になったことを意味するのかもしれません。これは、人間が単なる被造物ではなく、創造者としての側面を持つようになった、という解釈も可能です。
しかし同時に、無限の創造活動の一部を担うことは人間にとって大きな負担、あるいは危険を伴う可能性も孕んでいます。知恵の樹の実を食べたことで人間が楽園を追放され、死と苦しみを経験するようになったという物語は、このことを象徴しているのかもしれません。
エデンの園からの追放は、人間が神様から独立し、自己責任のもとで生きることになったことを意味しているよではないでしょうか。
これは、人間が創造者としての一面を持つこととなり、同時にその責任を負うようになったことを示唆しているようにも思えます。
この考察を現代社会に当てはめてみると、人間は科学技術の発展を通じて、ゲノム編集による生命の創造や人工知能の開発など、かつては神にのみ許された領域に踏み込みつつあります。しかし、その一方で、それらの技術が人間の社会を危うくするような問題を発生させる危険性もあります。
知恵の樹の実を食べたということは、それによる知恵に伴う責任をも背負ったことでもあります。
その責任への無自覚さこそが、所謂「原罪」なのではないかと、そんなふうにも思うのです。