宗教や信仰についての雑記 #77
◯受難と復活
今年のイースターは3月31日だったそうですが、この時期になると思うことがあります。
それはイエスの復活と受難は幾度となく繰り返されているのではないか、ということです。
イエスの受難と復活は過去にただ一度起きたことではなく、その後の人類の歴史の中で何度も繰り返されているのではないか。
そして、今でも世界中のいたるところに「苦難の道」(ヴィア・ドロローサ)が現れて、イエスが磔刑に向けてそこを歩いているのではないか。そんなふうに思うのです。
イエスが処刑されたのは、自分の考えを否定されたパリサイ派の怒りや、自らの地位が脅かされるのではないかというサドカイ派の懸念や、地上のメシヤを期待した民衆の失望など、様々な要因があるようですが、それらはイエスの死後も人の心にずっと存在し続け、現代を生きる我々の心の中にも潜むものだと思います。
ですから、イエスの死に責を負う者があるとすれば、それは今を生きる我々を含めた、過去二千年に渡る歴史の中の人間全員なのではないかとも思うのです。
そして、この二千年に渡る歴史の中で、人間の欲望や憎悪による悲惨な出来事が起こるたび、イエスは復活と受難を繰り返している、そんな気がするのです。
これは正統なキリスト教の教義とは異なるのでしょう。そしてクリスチャンの方々には、たわいもない異教徒の妄言に聞こえるかもしれません。
でもそんな感覚を大切にしたいと、私はそんなふうにも感じています。それは、己の罪への自覚が信仰にはとても重要だと思うからです。