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宗教や信仰についての雑記 #287

◯硬いパン

先日、今フランスで日本のパンが人気を集めている、ということをテレビで見ました。
それまでフランスでは、パンはバゲットのような硬いものばかりで、日本のパンのように柔らかいものはなかったことが、その主な理由だそうです。
私はときどきフランスパンを食べることがあります。美味しいとは思うのですが、やはり外側の硬さにはなかなか慣れることができません。

しかし、硬いパンは宗教的に様々なことを象徴しているようです。
それは、苦難と試練、謙遜と質素、共同体と分かち合い、生命力と再生、神との結びつき、神からの恵み、といったものだそうです。
それらは、先祖の苦労に思いを馳せ、仲間との絆を深め、感謝の心を育むためのもの、とも言えると思います。

一方、日本の赤飯にも似たような意味があるそうです。
日本に稲作が伝わってきた当初、米は赤い色をしていたそうです。そして赤という色は邪気を払い幸福を呼ぶ色とされ、赤い米は神に捧げられてもいたそうです。そのことから、祝い事の席に赤飯が供されることになったとのことです。
硬いパンは神からの恵みという意味があるのに対し、赤飯は神への捧げ物という、異なる文化を背景とした逆のベクトルがあるにも関わらず、両者にも神や先祖への感謝の想いが込められていたところが興味深いです。ただ、その想いも現代ではだいぶ希薄となっているようですが。

ところで、アメリカのクリスマスに七面鳥(ターキー)を食べるのも同じような意味かと思っていたのですが、どうも少し違っていたようです。
これは感謝祭にターキーを食べる習慣から来たものだそうです。
感謝祭にターキーを食べるのは、アメリカの当初の入植者が厳しい冬に直面した際、ネイティブ・アメリカンに助けられ、その冬を乗り越えることができたことに由来するそうです。つまりこの習慣は収穫への感謝と同時に、ネイティブ・アメリカンへの感謝の意味もあったようなのです。
しかしその後のネイティブ・アメリカンのたどった過酷な歴史を考えると、とても悲しい習慣のようにも思えてきます。やはりこれも現代ではその由来や精神は殆ど忘れられているのでしょう。

そこで、硬いパンにターキーを挟んだサンドイッチ。そんなメニューを作ってみてはどうでしょうか。
先祖や神への感謝と他者(他文化)の尊重との共存を象徴するメニューとして。
今、世界で悲惨な状況が続いている時にこそ、その意味を噛み締めて味わうもののような気がするのです。

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