宗教や信仰についての雑記 #272
◯たたむ
先頃、家の近くの商店街のラーメン店が閉店しました。ラーメン店は競争が激しいせいか、出店と閉店とのスパンが短いような気がします。
店を閉めることを「店をたたむ」とも言うことがあります。でも「店を止める」とか「店を捨てる」とかいった言い方は聞いたことがありません。(保健所による営業停止というのはありますが、これは命令であって自発的なものではありません。)
この「たたむ」という言葉には様々な含意があるような気がします。そこには、空間的な縮小、しまい込むこと、積み重ねること、整理整頓や秩序の構築、そして、表には現れない潜在的な可能性、といっものがあるのだと思います。
ですから、「店をたたむ」ということは「止める」のでも「捨てる」のでもなく、次の挑戦のための準備期間に入ること、そのための力を蓄積すること、といった潜在的な可能性のニュアンスが含まれているのかもしれません。
また、「たたむ」という言葉には「心の中に秘めておく」という意味もあるそうで、そのような意味での「胸にたたむ」という言い方があるそうです。
我々は皆それぞれ、胸に畳んでいるものをもっているのでしょう。それは心の内に積み重ねられた思いにより形成された、秩序の構築への志向や、その潜在的な可能性のようなもので、「理想」とか「信念」あるいは「使命」とかいった言葉で表されているものです。
そしてその言葉に内には、信仰にも似た心の働きがたたみ込まれているような気がします。
そのように、誰もが皆自らの胸にたたんでいるものが、この世界を実際に動かしている、そんなふうにも思えるのです。競争の激しい中でもなお、新たに挑戦するラーメン店が現れるのはそのためなのでしょう。
閉店したラーメン店の後には、新たに喫茶店が開店しました。店主の胸に畳まれていたものが、見事に開くかどうか、それは「神のみぞ知る」ことなのでしょう。