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全能でない神②

今回は前回の続きです。

前回、全能でない神の概念について書きました。
無論その一方で、全能でない神の思想は、神の力と権威を否定するものとして批判されることもあります。
伝統的な神の概念では、全能性は神の本質的な属性の一つであるため、それを欠く神は神とは言えないのではないかというのです。

その反論としては、神の「完全性」を静的なものではなく、動的なものとして捉えるものがあります。つまり、神は常に変化し、成長していく存在であり、その過程で他者(人間や世界)との関係性の中で影響を受けます。この変化・成長こそが、神の完全性の一つの表現であるとされます。また、全能性を「あらゆることを力ずくで実行できる能力」と捉えるのではなく、「愛と説得によって被造物を最善の状態に導く力」と捉え直すことで、全能でない神の概念を擁護します。

また、もし神が全能でないならば、なぜそのような存在を信仰するのか、という問いも生じます。
全能でない神は、人間の祈りや願いに完全に答えることができないため、信仰の対象として不十分ではないか。人々は困難な状況において、全能の神に助けを求めますが、全能でない神はその期待に応えられないのではないか、という問いです。

それについての反論としては、神は人間の祈りに「奇跡」という形で直接介入するのではなく、人間の内面や状況に影響を与え変化を促す、というものがあります。つまり、神は人間の自由意志を尊重しつつ、最善の方向へ導く力として働いているとされます。
この反論は上記の、神義論は、悪の問題を理論的に解決する試みではなく、苦しみの中で希望を見出し、行動を促すための動機付けとなるという、その目的の変化ともつながっているように思います。

また少し長くなりそうなので、この続きは次回にしたいと思います。

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