宗教や信仰についての雑記 #78
◯心の中に潜む罪
だいぶ前の話ですが、「悔い改めた罪人にこそ、恵みは与えられる」といった言葉を聞いたことがあります。また、似た言葉に「罪によって神の恵みがより豊かにあふれるようになった」という言葉もあるようです。
私は、他者の罪を批判や非難しているとき、人は自分の罪には気づかないものだと思っています。
そうして己の罪に気づかないままでいると、不平不満や他者への怒り、さらには憎悪などによって、自分自身の心を焼き焦がして傷めてしまいます。
それを防ぐには己の罪の自覚が必要なのでしょう。でもその罪とは大それたものではなく、何でもない日常の中に潜む罪なのだと思います。
例えばそれは、隠れた自己顕示欲とか、他者の苦しみに鈍感であることとか、そのような些細なことかもしれません。
ちなみに、マザー・テレサは愛の反対は憎しみではなく無関心だと言ったそうです。
その無関心とは即ち他者の苦しみに鈍感であることであり、それが我々皆の心の中に潜む罪なのだと、そんな気がします。
日常に潜むそんな細かい罪の一つ一つを自覚してゆくことにより、他者への怒りや嫌悪などから徐々に開放されてゆくのではないでしょうか。
しかし我々の内にある罪は、心の奥深くに潜んでいて、それらを自覚するのはなかなか難しいようです。
イエスが悪魔を退けたという聖書の記述は、心の奥底に潜んで姿を現さない我々の罪を、イエスが自らの死によってあぶり出したことを表しているようにも思えます。
だからこそイエスの死は、我々にとっての救いなのでしょう。
罪の自覚に必要なのはまず、他者の苦しみを知ること、その苦しみを知らなかった己の無知や鈍感さを思い知ることなのだと思います。
また、負の感情によって自分自身の心を痛めてしまうのを防ぐには、感謝の心を持つことが有効なのだと思うのですが、これがなかなか難しいのです。
ただ単に「感謝しましょう」などと言われても、そう簡単にできるものでもありません。
自分の心を守るために感謝の心を持つということは、罪の自覚と表裏一体のものなのだと思います。