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日常の中の超越者②
前回、自己組織化し進化するシステムとしての宇宙を、超越者とみなすことについて書きました。今回はその続きです。
私たちは、この宇宙の進化の流れの最先端に位置しています。でも、私たち一人ひとりの活動は、この流れの中では、大河の一滴の如く、ほんの僅かな微々たるものでしょう。でもその大河の一部であることは確かなのではないでしょうか。
そして、そのような日常の活動とは、そのことをを通して世界や自己についての意味を創造することでもあります。この意味の創造とは、超越者としての宇宙の自己生成や自己組織化と深く結びついた、進化への参画でもあります。
また以前の投稿(#369)で書いたように、自己組織化がエントロピー(乱雑さ)と動的なバランスの上に成り立っているとすれば、私たちの日々の生活もまた、その縮図と言えるでしょう。
日常のルーティンは、ある種の秩序を保とうとする行為です。しかし、予期せぬ出来事や感情の起伏、人間関係の摩擦など、日常には常に混沌の要素が入り込んできます。上記のイライラしたり、希望を見失ったり、悪態をついたりすることなどは、その乱雑さの例で、それらとの動的なバランスの上に日常が成り立っているのでしょう。
そのバランスの上にある私たち一人ひとりの日常の行為は、意味の創造というだけでなく、宇宙全体の均衡を支える微かな力と言えるかもしれません。
上記のように、プロセスへの参加を通してサブシステムに秩序をもたらすことにより、私たちは宇宙全体の秩序と混沌のバランスの維持に、ごく微小ながら、その底辺から貢献していると言えるのではないでしょうか。
宇宙における私たちの日常とは、喩えて言えば、大きな生物の一つひとつの細胞のようなもの、あるいは巨大な構築物を構成する原子や素粒子のようなものなのだとも思います。
それら一つひとつは微小なものに過ぎないけれど、それらの秩序が失われてゆけば、やがて全体が崩れてしまします。
それと同じように、私たちの日常も宇宙の恒常性の維持に貢献しているではないでしょうか。
そして、宇宙の進化とは局所的なエントロピー(乱雑さ)の減少の積み重ねで、その究極にあるのが人間の意識や知性であることも、その根拠のひとつだと思います。
また、自己組織化と乱雑さとの均衡の内には、常に「ゆらぎ」が含まれます。そしてこれがなければ、新しい構造や機能は生まれません。日常生活も、予定通りにいかないこと、予期せぬ出来事、感情の起伏など、常にゆらぎに満ちています。これらのゆらぎは、時に困難や苦痛をもたらしますが、同時に変化や成長の機会でもあります。安定とゆらぎのバランスの中で、私たちは適応し、進化していくのです。つまり、日常の重要性は、安定を求めるだけでなく、ゆらぎを受け入れ、そこから学び、成長していくことにあると言えるでしょう。
この続きはまた、次回にしたいと思います。