宗教や信仰についての雑記 #176
◯解釈の変更(転向)
前回、自分が信奉する価値の解釈の変更ができないということについて書きました。
なぜその変更がなかなかできないのでしょう。
高次の価値を信奉して、それに従って生きるということは、その人の人生の意味やアイデンティティに深く関わることのようです。
ですからその価値の解釈を変えるということは、それまでの解釈に従ってきた自分の人生を否定することにもつながります。それにより、自分のアイデンティティが危機にさらされるように感じられるのでしょう。
そのような状況に直面したら、たいていの人は強く拒絶するに違いありません。
そのことが、価値の解釈の変更がなかなかできないことの主な原因だと思います。
しかしそういった変更は、本当にその人本人にとってマイナスになることなのでしょうか。
先日の投稿(#171)でも書きましたが、「人は努力する限り迷う(誤る)」ということが真理であるならば、解釈の変更は努力した結果であり、自分の人生を真剣に生きていることの表れでもあります。
そしてそのことは、心の自由を失ってはいないということでもあり、また、そんな困難に立ち向かう勇気を持っていることでもあります。
ですからそのような変更は誇ることではあっても、決して恥ずべきことではないでしょう。
その人が本当に真剣に生きているならば、そういった変更(あるいは転向)を無闇に非難したり蔑んだりすることは、そちらの方が偏狭なものの見方ということになるとも思います。
我々は己の内に潜む、そんな偏狭さに警戒しなければならないのでしょう。
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