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宗教や信仰についての雑記 #313
◯ブロック化
先日アメリカで、トランプ氏が大統領選挙に当選しましたが、それにより世界がブロック化するのではないかという懸念が一部にはあるようです。
そのブロック化とは、ある特定の属性や価値観を共有する人々が集まり、互いに固く結びつく現象を指します。この属性は、国籍、民族、宗教、政治的イデオロギー、経済的な結びつきなど、多岐にわたります。
そこで社会的なブロック化の光と影について調べてみました。
まずその光の部分には、個人のアイデンティティの確立、帰属意識の醸成、相互扶助、様々なブロックの多様性の尊重といったものがあります。
次に影の部分ですが、そこには、排他性と対立、極端化、他のブロックを否定することによる多様性の阻害といったものがあります。
また、宗教的な観点から考えると、上記の内容とほぼ同じなのですが、さらに光の部分に、道徳的規範の提供と、文化の継承・発展ということが加わります。
そして影の部分には、不寛容と差別とテロリズムが加わるようです。
さらに現代社会では、インターネットの発展により、人々はより容易に特定のブロックに属し、コミュニティを形成することができます。しかし、このことは、一方で、情報のバブル化やエコーチェンバー効果を招き、社会の分断を深める要因ともなっています。
でも人はなぜブロック化するのでしょう。
どうやらブロック化とは、カテゴリー分けの結果生じることのようです。つまり人が物事をカテゴリー分けした結果が一つ一つのブロックであるということです。
それでは人はなぜカテゴリー分けをするのでしょう。その理由としては、
・複雑な世界を整理して予測を容易にするという、状況の理解の簡略化
・他者と共通の理解を持ち説明の簡潔化するという、コミュニケーションの円滑化
・選択肢の絞り込みリスクを軽減するという、意思決定の効率化
・知識の体系化し記憶の強化を促すという、学習の促進
といったことがあるようです。
こうして観るとカテゴリー分けとは、人間の認知機能の基礎であり、社会生活を円滑にする上で欠かせないものだということになります。
言い換えればカテゴリー分けとは、人間が知性と社会性を持つ存在である以上、欠くことのできないものなのだと思います。
しかしそれは上記のブロック化の影のように、使い方によっては弊害をもたらす可能性も持っています。さらに宗教や信仰はその傾向を助長する危険性をも秘めています。なぜなら宗教は、社会のブロック化を通して道徳的規範を提供すると同時に、生きる意味、即ち存在の根拠をも提供するからです。それは一歩間違えれば、他のブロックに属する人々の存在の根拠を否定することにもつながりかねない危険性を孕んでいます。
我々は生命のたどった長い進化の末に、知性と社会性を身につけました。でもそのことは己の内に天使も悪魔を同居させたとも言えると思います。
我々は常にそのことを忘れずにいなければなりません。
そのためには、批判的思考、認知バイアス、メタ認知、ネットリテラシーなどのようなことについての教育が重要となると思います。そのような努力を怠らずに、多様性と共存の方向に心を向けておかなければならないのでしょう。