見出し画像

小説|朝日町の佳人 11

前 小説|朝日町の佳人 10|mitsuki (note.com)

 披露宴会場のホテルから引き返して、それほど時間を置かずに電話がかかってきた。
 路肩に車を停めて受けると沢口一郎だった。
 番号はつい先刻教えたばかりだった。
 今朝言っていた親戚が、ちょうど都合がいいから灯篭を見に行きたいと言っているそうだ。
「今からですか?」
「はい。急ですみません。ご都合が悪いですか?」
「いえいえ、こちらから頼んでることだし、僕も都合はいいです」
 ただ外出していてすぐには迎えにいけないと言うと、位置的に私がそっちに行った方が合理的ですねと、沢口氏側が街に出てくるという事になってしまった。
 僕は繰り返し礼を言って、近くのコインパーキングに車を入れた。
 沢口氏とその親戚という男はクラウンで現れたが、それは親戚の方の車らしい。
 氏は、帰りは僕の車で送ってもらうと助かると言うので、それはもちろんお送りいたしますよと、それから美里さんの店に連れて行くため、二人にこちらの車に移動してもらった。
 沢口氏の親戚は、背丈は百合と同じくらいの小柄な男だった。
 眼鏡をかけていて、いかにも真面目そうで、神経質な印象を受ける。
 話し方は腰の低い中間管理職といった感じで、聞けば僕や沢口さんと同じくらいの年齢だったが、もうちょっと上に見えるので、丁寧に話しをされると少し恐縮してしまうようだった。
「従兄弟と言っても、正確には従姉妹の婿でして。いえ、婿といいましても婿養子ではなくてですね、配偶者という意味なんですけれどもね」
「はあ、そうですか」
 親戚という割に似ていないなと思った理由が納得できた。
 水野浩介と名乗った彼は、自分から助手席に座ってもいいかと聞き、誰も異論は唱えないのでそこに納まった。
 沢口氏は彼の後ろに座った。
 ひょいとバックミラーを見るとすぐに彼の顔が窺えるが、鏡に映った彼の顔はいつもと印象が違って見えた。
 いつもよりもっと涼しい、どちらかと言えば冷たいとも取れる表情だ。
 それでも僕がつまらない冗談でも言えば、クスクスと笑ってくれる様子はいつもと変わらない態度ではあった。
 
 しばらくして、水野氏の腰の低さは、元来彼の性分でもあるだろうが、多少沢口氏の影響も受けているなと感じた。
 彼は沢口一郎に対して気を使っているらしく、時おり緊張してさえいるように見受けられる。
 僕はもしかして、沢口氏が無理やり彼を引っ張り出したのじゃないだろうかと不安になった。
 店に到着して車を降りた時、僕はそっと水野氏に言った。
「無理を言うつもりはありませんから、気に入らなかったらハッキリそう言って下さいね」
「ハイハイ、承知しております。そもそも家の庭はですね、広いだけが取柄でやや殺風景に過ぎるんですね。ですから雪見灯篭などは、気に入ればすぐにも設置できますので、御心配には及びません。そもそも私の親戚に造園業を営む者がおりまして、今朝その者から灯篭の見立てについていろいろ講釈を聞いて参りましたので、きちんとした見積もりを出せる自信もございますので」
 それはありがたい話しだが、いったい彼らの親戚という関係がどの辺りまで広がっているものなのか、想像すると何だか壮大になってきて、途中で頭を振って思考を止めるのに苦労した。
 ほんの一、二時間前に、僕がちょっとした思い付きで沢口氏に言ったことが、どうやら凄い速さでその一族の間を駆け巡ったらしいと思うと、さらに恐縮が強まり萎縮してしまいそうだった。
 なにしろ僕は休日の呑気な格好をしている。
 ジーンズにただ白いだけがとりえみたいなシャツにスニーカー。
Tシャツじゃないだけましだったが、二人がきちんとスーツを着込んでいる前では、まるで気の利かない運転手といった感じだ。
 
 美里さんには断っておいたので、彼女がいなくても店の庭に入ることに問題はなかった。
 ここに来る前に電話をかけると、間に合うか判らないが私も行きますと言う。
 時間がかかると返って御迷惑だから、私が向かっていることは言わないで、間に合わなくても気になさらずお帰りになってね。
 玄関脇から枝折戸しおりどを通って裏に回った。
 広いとまでは形容できないものの、座敷から客が眺めるには手頃な広さの庭に入る。
 水野さんは小さな池の縁にある雪見灯篭を指差して、あれですね?と、僕に確認した。
 そもそも灯篭はそれ一基しかないのだが、僕がそうですと請け合うと、水野さんはホウホウと頷きながら一人小走りになってその方へ向かった。
 僕は邪魔をしない方がいいと思い近付かなかったが、沢口氏も僕の傍にいるままなので顔を向けると、彼は庭の様子を眺めている最中だった。
 そして一通り見てしまったのか、僕に顔を戻すと言った。
「質素に完結していて、良いお庭ですね」
「そうですか。でも沢口さんはイギリス好みなんでしょう?」
「え?」
「お宅の庭はイングリッシュ・ガーデンだって、百合が言ってました」
「ああ、なるほど。そうですね」
 沢口氏は少し戸惑うような微笑を浮かべた。
「イングリッシュ・ガーデンかどうかはよく判りませんが、洋風の庭ではあるでしょうね。何と言うか、適当に好きなものを植えただけなんですが、自然と美しいバランスを保って、まあ見られる庭にしているつもりではありますが」
 やっぱり、百合の言ったのはいい加減だったんだなと、僕も微笑んだ。
「そういえば、本気であなたをお茶に誘うつもりでいるみたいでしたよ。気を付けて下さいね」
「おや、そうですか。でもまあ、お茶くらいなら、あなたのお許しも出るかも判りませんね」
「え?」
「え?」
「いや、僕の許しって、それは何なんでしょう?」
「ああ、いえ。別に深い意味はないです。お気になさらず」
「いや、気になりますよ。それに、そう、昨日だって変なことをおっしゃっていましたよ、沢口さんは。言っておきますが、僕と百合は単なる幼馴染なんですから、妙な誤解はやめて下さい」
「はあ、なるほど。まあ、そういう事でも私は構いませんが」
「いやいや、本当に、僕はあんな子供みたいな女は好きじゃないんですよ」
「ええ、判りました。そうむきにならないで下さい。私はただ、あなたたちお二人を見て、微笑ましいなと感じているだけなんです。そうお怒りにならないで、この話はこの辺でよしにしましょうか」
「怒ってなんかいませんけど、何だか腑に落ちないというか」
「まあ、いいじゃないですか」
 沢口氏は適当に誤魔化すように微笑んで、庭の奥に目をやり、水野さんに声をかけた。
「どんな感じですか?」
 水野さんは少し慌てて振り向くと、再び小走りで戻ってきた。
「いいです、いいですよ。時々偽物と言うか、ただ体裁だけ取り繕ったような物もあるんですが、石にそれらしく穴を開けて積み上げただけみたいなですね、でもこれはちゃんとした雪見灯篭でした。火袋もお飾りでなく、きちんと火が入る事を想定した造りになっていますし。買いましょう。購入させていただきますよ、田中さん」
「ありがとうございます。そうですか。山下さんも喜ばれると思います」
「私としましては早速向こうに連絡いたしまして運搬の準備に取り掛かりたいんですが、その山下さんという方と金額の折り合いをつけなければなりませんし」
「いえ、その件については、そちらに運搬料金をもってもらうという条件であれば、お譲りしますということでしたが」
「まさか、そういう訳にはいきませんよ。安い物ではなかった筈ですよ」
「僕は購入金額を聞いていませんが、幾らぐらいでしょうね、高かったとはおっしゃっていましたが」
 水野さんは腕組みをして一唸りすると、ポンと手を打った。
「とりあえず、そういう事であればですね、先に準備だけ進めておきましょう。今日は無理かも知れないですけれども、明日には運び出せると思いますので」
 話はとんとん拍子に進み、三人で庭を出て、美里さんは間に合わなかったかと僕が残念に思っていたところに、タクシーが店の前で停車した。
 出てきたのは美里さんで僕はほっとしたが、彼女もほっと息をついて、着物の胸元を押さえ、三人の前に立つと二人に会釈し、僕を見ると首を傾げてフフフと笑った。
「良かったわ、間に合って」
 僕は二人に向かって彼女を紹介し、彼女に二人を紹介した。
「これはこれは」
 と、水野さんは、美人女将に目を瞬かせた。
「お初にお目にかかります。今日は面倒なお願いを聞いてくださって、本当にありがとうございました。何だか大きいばかりで、気に入っていただけたかしら?」
「ええ、それが女将さん、購入して下さるということなんですよ」
「購入?とんでもない、引き取っていただけるなら、あたしはもうそれで充分なんですよ。なんでも、運び出すのはそちらに御専門がいらっしゃるから、あたしは見てればいいってお話なんでございましょう。それなのに、そのうえ購入だなんて」
 しかし、水野さんの決意は固かった。
 どうしても代金を払わないと気がすまないといった様子で、そのあいだ沢口氏は他人事のように、まさに他人事ではあるのだが、素知らぬ風に元小料理屋の建物を眺めたり、天気のいい空を見上げたりしていた。
「そりゃあ、そう言っていただけるのはありがたいと思いますけどねえ」
「それじゃあ二百万でどうでしょう」
「へ、二百万ですって?恐ろしいことをおっしゃいますわねえ、水野さんたら。あれはそもそも古道具屋さんで見かけて買ったものなんですよ。そんな大金頂いたら罰が当たります」
「ほう、古美術商で」
「中古で買った物を更に中古にして売るんですから、あなたそんな金額はいけませんわ」
「判りました。じゃあ百万にしましょう。もうこれで決定ということでお願いします。私は何と言いますかね、商談が難航して長引くのはどうも苦手な方でして、これで嫌とおっしゃるのならもうこのお話はなかったことにしてもらった方が気持ちもいいというものでありますし」
「あら嫌だ、それじゃあたし困っちゃうわ。よござんす。ここは清水の舞台から飛び降りたつもりで、それで手を打ちましょう」
 こうやって商談は奇妙な決着を見て終了した。

次 小説|朝日町の佳人 12|mitsuki (note.com)

いいなと思ったら応援しよう!