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小説|朝日町の佳人 24

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 翻訳家川島祐一は主にフランスの絵本の翻訳を手がけていた。
 そしてK大学の非常勤講師でもあった。
 K大は市内にある国立大で、僕の母校でもある。
 恩師に電話をして、営業名目で遊びに行き、その帰りに構内をうろつくのは少しも難しいことではなかったが、流石に途中で少々気が咎めてきた。
 こんな探偵みたいなことをして良いものだろうか?しかし、ここまで来て何もせずに帰る訳には行かない。
 恩師の部屋で講師陣の写真を見せてもらい、それをこっそりカメラで写してきてしまったのだから。
 
 四十もまだ半ばだというのに、その苦労が現れているのか、川島祐一の髪は八割がたが白髪だった。
 それでも髪の量は充分で、さらさらとしていて清潔感がある。
 鼻の形もよく、若干垂れ気味の優しそうな目などは、いかにも女子学生に人気がありそうだ。
 その顔を構内の喫茶店で見つけると、僕は意を決して彼に近付いていった。
 名前を確認して、向いの席に座った僕に、彼は怪訝な目を向ける。
「何ですか?」
 僕は静かに答えた。
「少々、お話しを。ある人に頼まれて、人を探しています。武野内香奈枝さんです。ご存じですよね」
 途端に彼の顔は曇り、僕を見る目も更に冷たくなった。
「また探偵か。でもどうして今さら?その事なら散々聞かれた。警察にも探偵にも、お節介で無関係な人間にもだ」
 勝手に探偵に勘違いされたのを幸いに、僕はそれらしく話を進めてみる。
「そうでしょうね。判っているんですが、どうしてもカナエさんを見つけ出したいんです。昔と同じことを聞くことになりそうですが、お許しください。つまり、カナエさんの行き先に、心当たりはありませんか?」
「心当たりなら探した。全て探した。それでもいなかった」
「でも、今再びその場を探してみる価値がないとは言い切れないですよね?」
「彼女がかくれんぼでもしていると思ってるのか?バカバカしい」
「……どうして、頭ごなしに非協力的なんです?判らないな……。カナエさんが見つかれば、あなただって安心できるのじゃありませんか?」
「安心だと?もう五年も経ってるんだぞ」
「それでは、あなたは、カナエさんの事はもうどうでもいいと仰るんですか?」
「どうにもならないと言いたいんだ」
「もう未練はないと?」
 川島祐一は押し黙り、僕を更に睨んだ。
 
 頬が少し痙攣しているようだった。
 未練がない訳はなかった。
 全てを捨てて一緒になろうと誓った女だったのだ。
 その結果、彼の手元には彼女さえ残らなかったのだ。
「僕は、彼女の居所を突き止めたいんです」
「突き止めても、どうにもならないと判っていてもか?」
「どうにもならないかどうかは、突き止めなければ判らないじゃありませんか」
「判っているさ。彼女が自分の意思で去ったのなら、もうそれまでだ。探して欲しいなんて思っている訳がないじゃないか」
「そうでしょうか」
「そうだとも」
「しかし、それ以来ずっと苦しんでいる人間がいるんです。彼女がそれで良くても、置いていかれた人はどうなりますか?彼女が出てこない限り、閉じこもって、苦しみ続ける人間がいるんですよ。あなたもその一人じゃありませんか?あなただって本当は確かめたいでしょう。どうして約束を破ったのか、どうして一人で行ってしまったのか。あなたの中で全て決着は付いているんですか?結論は出ているんですか?」
「沢口一郎か」
 苦々しい口調で、川島祐一はそう言った。
「彼に頼まれたんだな」
「誰とは言えません」
「ふん。いいだろう。しかし、私は彼の言うことを信じないよ」
「どういう事です?」
「あの日、彼女を引き止めたのは彼だと思っている。彼以外にいないと思っている」
「あなたとの約束の日に、カナエさんは電話をかけて来られたんでしたね?」
「そうだ。今から家を出るという電話だと思ったら、違った。けどあれは、もう私と行くことは出来ないという連絡ではなかった。絶対にだ。予定を変更するだけだったんだ。今日は行けないと言ったんだ。今日は行くことが出来ないと」
「その日、沢口さんが彼女を引き止めたと?」
「ああ」
「沢口さんに会うために、あなたに会いに行けないという事ですか?」
「そうだ」
「カナエさんはそう、お仰いましたか?」
 川島祐一は首を横に振った。
「そうは言わなかったが、私には判る。彼女は沢口に引き止められ、仕方なく最後に会うことにしたんだ。きっと、一切の事情を説明して、許しを請うつもりだったに違いない。彼女ならしそうなことだ。彼女は苦しんでいた。沢口を裏切ることを、最後まで思い悩んでいた。だからもし彼から引き止められれば、彼女は全てを告白して、許してくれと言うに違いないんだ。私は会うなと言っていたのに」
「でも、何も言わずに突然二人がいなくなるなんて、そんなの酷いと思いませんか。沢口さんとカナエさんは、婚約していたんですよ」
「家同士が決めたようなものだ。二人は子供の頃から顔見知りだったんだ。年頃になって見合いをさせられ、そのまま周囲に流されてしまっただけだ」
「それでも沢口さんは、カナエさんを愛していました」
「そんなこと、私は知らない。私に判ることは、彼女と私が愛し合っていたという事実だけだ」
 僕は自分が感情的になってきたことが判ったので、深呼吸をして気分を落ち着けた。

 そして、声を荒らげないように注意しながら、口を開いた。
「愛し合っていたですって?」
「そうだ」
「あなたには奥さんも子供もあったというのに?」
 川島は口をつぐんだ。
 そして呟く。
「君には判らないし、判ってもらおうとも思わない。どうして私が、探偵を説得しなければならないんだい」
「それもそうだ」
 僕は頷く。
 そしてもう一つ深呼吸をする。
「彼女は沢口さんに引き止められた。あなたは彼に事情を説明する必要はないと、彼女に以前から言っていたんですか?」
「言っていたさ。決まってるだろう」
「どうして?婚約者に婚約破棄の申し出をするのは、当然の事だと思いますが」
「あれは優しい女だ。沢口を説得できる訳がない。男の方ときたら、あの沢口家の長男だ。どんな手で言いくるめてくるか、判ったものじゃないからな」
「沢口家の長男に、問題がありますか?」
「どんな手段でのし上がってきた家だと思ってるんだ?戦中戦後とまともな商売をしてきた訳じゃない。騙し取った他人の炭鉱で財を築いておいて、まるで公家の出みたいに澄ました顔して生きている家だぞ」
「僕は沢口家の歴史について語っている訳ではありませんし、そんなものに興味もない」
「そんな家系の跡継ぎだという話だ」
「彼は跡を継いでいない。彼個人の性質は、一族の歴史に関わりはない」
「君は、彼を崇拝でもしているのか?確かに跡を継いだのは弟らしいが、別にそんなことは関係ないさ。そういう家で生まれ育てられた、自ら苦労をした事など一度もない男だということさ。私は彼を信用していない」
「判りました。あなたは沢口一郎を信用していない。いいでしょう。故に、彼に一切の説明無しに、二人で逃げようとした。しかし、彼女は勘付かれるような事をしてしまったのか、彼に引き止められた」
「そうだ」
「彼女はあなたに、今日は行くことが出来ないと連絡してきた」
「そうだ」
「彼女は沢口一郎に言いくるめられ、そして、あなたを諦めたと?おかしいですね。だとすれば、彼女は何処にいるんです?どうして言いくるめられたカナエさんは、今現在、沢口香奈枝になっていないんでしょうか」
「簡単なことじゃないか」
「簡単ですか?僕には判りませんが」
「彼女は僕を裏切ることはしない。そんな女じゃないんだ」
「婚約者を裏切った女は、浮気相手を裏切らないものなんですか。初めて知りました」
「彼女を侮辱する気か」
「そういうつもりでは。気に障ったのならすみません。謝ります。それで、彼女は何処に行ったと思うんですか?沢口さんに事情を説明し、言いくるめられ、それでもあなたを裏切らない彼女は?」
 川島は暗い表情で首を振り、静かに立ち上がった。
「待ってください」
「いいかい、君。私は、探しても無駄だと思うよ」
「どうしてです?」
「私には彼女が、まだこの世にいるとは思えない」
「……どういうことですか」
「生きていればきっと、私の元に来てくれている筈だ。彼女はきっと、どっちに進むことも出来なかったんだ」
「それは……」
「私は、彼女が自殺したのだと結論を出したんだ。原因は沢口一郎だ。彼が大人しく彼女を手放してくれさえいれば、こんな事にならずに済んだのにと思っている。私は彼を恨んでいる。いいかい?沢口一郎に言ってやってくれたまえ。彼女を殺したのは他でもない、君だとね」
 僕も椅子から立ち上がった。
「待ってください」
「私の結論はもう教えたよ」
「あなたは判っていない。沢口さんは彼女を愛していたんですよ。彼女が消えた日以来、ずっと苦しんでいるんです。家がどうとか、見合いがどうとか、そんな事は関係ない。彼が彼女を愛していたことは事実なんだ。それを、それをあなたは」
「君は見ていたとでも言うのか?その頃の二人の様子を」
「見てはいません。でも、調べていく上で想像はできました。二人は愛し合っていたとしか思えない」
「初めは彼女だって、彼を愛そうと努力しただろう。そして愛し合っていた時期がなかったとも言えないだろう。しかし、それはほんの一時のことに過ぎないよ」
「もしそうだったとしても、僕は、沢口さんを悪くは思えないし、彼を悪く言うあなたを好きになれない」
「可笑しな探偵だ。好かれなくて結構だよ。失礼」
「もしかしたら」
「まだ何か?」
「もしかしたら、彼女と約束をしていたのは、満月の夜ではありませんでしたか」
「ああ。確かに、カナエが中秋の名月の日にと決めたんだ。でも、夜ではなくて朝だ。その日の朝、二人で旅立つつもりだった」
 川島祐一は出て行った。
 僕はしばらくの間、その背中を見つめていた。

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