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小説|腐った祝祭 第一章 26

前 腐った祝祭 第一章 25|mitsuki (note.com)

 外務大臣の外遊に付き合うのは非常に退屈だった。
 空港にルルの警備兵と警察と、外務省の役人と共に、大臣一家とその取り巻きを出迎え、馬車での市内観光をして回った後に、品のいいレストランで食事をし、大使館に帰ってきた。
 どうせなら近場のホテルに泊まって欲しいものだったが、こちらからそう勧める訳にもいかない。
 大使館の客室を案内し、挨拶を終えてその場を辞する。
 大臣も夫人もその娘も、初めのうちは馬車での観光を珍しがって楽しんでいたが、終盤では揺れの方が気になりだして、少しお疲れのご様子だった。
 やっとナオミの部屋を訪れると、ナオミは薄情にも既にすやすやと眠っている。
 サトルは彼女の鼻をつついてやった。
「や!」
 と、可愛く叫んでナオミは目を覚ます。
「もう!」
 ナオミは文句を言いながら体を起こした。
「ちゃんと起きてたのよ!」
 とも言った。
 サトルは笑った。
「嘘だよ。いびきかいて寝てた」
「嘘よ、そんなの」
 ナオミは急に心配そうな表情になる。
 サトルはベッドに腰かけてナオミを抱き寄せる。
「本当だよ。スースーって」
 ナオミはホッと息をはいた。
「それはただの呼吸じゃない。息しなきゃ死んじゃうわ。ああ、でも良かった。本当だったら、寝室は別にしなきゃいけないと思ったわ」
「いびきは禁止かい?」
 ナオミは首を傾げる。
「やだ。サトルさんの方なの?」
「さあ、どうだろうね。楽しみにしててごらん」
「嫌よ、そんなのちっとも楽しくなんかないわ」
 そう言って笑うナオミの手を、そっと握った。
「薬はぬったの?」
「ええ」
「残念だな」
 すべすべのナオミの手にキスをする。
「綺麗な爪だね」
「ありがとう。でも、そのせいで怒られたこともあるのよ」
「え?どうして」
「中学生の時だったわ。担任の先生にね、マニキュアつけてるだろうって、怒られたの。キョトンとしちゃった、私」
「そりゃするさ。濡れ衣じゃないか」
「初めは何のこと言ってるのか判らなかったわ。もしかしたらあれが、人生で生まれて初めてキョトンとした瞬間だったかもね。そしたらこの爪だったの。私の学校ではマニキュアは禁止だったのよ。でも、どうやったら間違えるのかしら?本当、口惜しかったわ」
「そんな教員はクビだな」
「でも、それほど悪い先生じゃなかったのよ?」
 ナオミが弁護するので許してやる事にした。
「明日の朝、君を大臣に紹介するから寝坊しないようにね」
「寝坊はしないけど、私、本当に会わなきゃいけない?」
「うん。だって、婚約者じゃないか」
「なんだか恥ずかしいわ。ニュースで見たことある政治家に実際会うなんて、変な感じ」
「そうか。そうだね。ナオミは私なんかより沢山彼の顔を見てるんだな」
「ええ。何だか頼りがいのなさそうな、とても個性的な髪型のおじさんだったけど、明日はそんなこと顔にも出しちゃいけないのよね」
「言ってみてもいいよ?面白いことになる」
「いやね、怖いこと言わないで。家族で来てるの?」
「うん。夫人と娘とで三人だ。後は警護とか秘書とか。そっちは気にしなくていいよ」
「私、ここに住んでいたら変じゃない?」
「どうして?」
「だって、まだ奥さんじゃないのに。あ、これって同棲なの?やだ、恥ずかしい」
「なに言ってるの、今さら」
 サトルは笑った。
「でも、そうじゃないよ。この建物はアパートみたいなものだ。私は君の部屋に泊めてもらったこともないんだから。言ってみれば同じアパートの住人だね」
「そうね。だけど何故かしら?私の部屋にはいつも勝手に隣人が入って来るのよ」
「無用心なアパートだな」
「本当よ」
「ねえ。べつに大臣には、君がここに住んでるなんて言う必要はないんだから、言わなきゃいいさ。朝食の席に来てくれたって事でいいんだよ」
「一緒に朝ご飯食べるの?」
「うん」
 ナオミは覚悟を決めるように深呼吸をして、何度か頷いた。
「判ったわ。きちんとお澄ましして、恥ずかしくないように、落ち着いてね」
「そう。よく噛んでね」
「もう!どうしていつも子供になっちゃうのよ?」

 ナオミを寝かしつけ書斎に行くと、クラウルが仕事をしていた。
「ありがとう。君はもう寝ていいよ。後は私の仕事だ」
「いいえ。偶には遅くまで仕事をするというのも、なかなか面白いものです。今日はお疲れでしょう」
「まったくだよ」
 サトルは椅子の上で背伸びをし、大きな欠伸をする。
「ツアーコンダクターと通訳を同時にやってやらなきゃいけないんだからね。それに見たかい?あの大臣の娘。どうやら本気で私を見物に来たらしいんだ。うんざりだよ。あの厚化粧でナオミより年下って言うんだから、まったく驚くよ」
「そんなこと、おっしゃるものではありませんよ」
「ああ、そうだな。悪かった。なんだか今日は疲れて、気が立ってるみたいだ。何か飲まないか?」
 サトルはクラウルの返事を待たずにキャビネットの前に立ち、木イチゴのブランデーの瓶と、グラスを二つ取り出した。
「あ、いや、閣下。私は」
「遠慮するなよ。偶にはいいじゃないか」
 テーブルにグラスを置き、酒を注ぐ。
 顔を振ってクラウルに椅子を勧める。
 二人は椅子に座り、クラウルは少しかしこまった風にグラスに口を付けた。「いい香りだ」と、呟く。
「君と酒が飲めるのも、この先そうないかもしれないよ。まだ私の人事は決まっていないようだ。もしかしたら来年はここを発たなきゃならないかも知れない。そうなるとナオミもがっかりするだろうな。もし国に帰るような異動だったらと考えると、気が重いよ。ナオミにしばらく黙っておかないとね。でも、君たちのことは考えてるから、みんなにも言っておいてくれ。ここを離れる事になってもちゃんと次の仕事は探す。希望するなら大使館の職員として引き続き雇ってもらえるように私から頼むから、時間があったらみんなに聞いておいてくれるかな。あ、職員の方は確実にそうできるとは限らないけどね」
「かしこまりました」
「今日、ナオミはどうしてたの?」
「お聞きになっていないので?」
「うん。眠そうにしていたからね」
「そうでございますか。私も本館に詰めていましたので、夕食まで何をされていたかは存じ上げません。ミリアにお聞きになったらいかがでしょう」
「そうだね。そうしよう。しかし、明日は驚くだろうなあ」
「なにがです?」
「大臣だよ。私に婚約者がいるなんて知ったら、何のためにこんな田舎に来たんだって、怒り出すかもしれないね」
「閣下……」
「どうせ自分の金なんか出してないんだから、少しも構わないだろうけど。しかし、あの娘の睫毛は何だろうね。あれが国では流行ってるのかな。瞬きする度に風が吹くかと思ったよ。それにあのバック。高かっただろうとは思うけど、ライセンスものだし、老婦人が使うようなデザインだった」
「閣下」
「ん?」
「また、お怒りになるかもしれませんが、一つお伺いしてよろしいでしょうか」
「言ってごらん。私は怒らないよ。怒ってるのはいつも君の方さ」
 クラウルは真面目な顔で、グラスをテーブルに戻す。
「ナオミ様とのご婚約です。まさか、大臣のご息女との縁談を断るためではないでしょう?」
「それもあるよ」
 あっさりと言う。
「ナオミの方が断然美しいとは思わないか?くだらない理由で、好みでもない女を妻にするなんてできないよ。ナオミのおかげで堂々と断る事ができる。いや、明日になればもう、向こうがそれを言い出すこともないだろう。こういうのは何か明確な理由がないと断るのが難しいからね。これは国民性なのかな。はっきりものを言うのに、時に罪悪感を覚える」
「閣下」
 サトルはクラウルを慰めるように微笑んだ。
「心配性だな、まったく君は。大丈夫だよ。それは理由の一つでしかないんだから。私がナオミを愛してないように見えるのか?」
「そうではありませんが」
「今までだって、私が何か別の理由で女と付き合ったことがあったか?金とか、爵位とか。男爵の娘より子爵の娘の方がいいと言ったかい?私はいつだって、その女に魅力を感じるかどうかでしか判断していないよ」
「判っております……。私のこの、不安な気持ちは、上手く言葉にはできないのです。私は、閣下を信頼しておりますし、ナオミ様のことも、とても善いお方だと思っております。お二人がお幸せになることを、私は望んでおります」
「じゃあ、何が問題なんだ?」
 クラウルのグラスに、酒を注ぎ足す。
「上手く言えないのです」
 クラウルは残念そうに呟き、グラスを手にした。

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