小説|偶然の一致 6
調査報告書を丁寧にテーブルの上に戻し、女は言った。
「ありがとうございました」
そして、バッグから茶封筒を取り出し、報告書の隣に置く。
「調査報酬です」
「精算します。お時間は大丈夫ですか?」
「はい。今日は大丈夫です」
彼女は緊張していた表情を和ませた。
二十代前半の若い女だ。
先日会った時は腰までもあった艶やかな黒髪は、今では肩の辺りで切りそろえられていた。
「実は、この前言っていた用と言うのは、面接だったんです」
「面接?」
桐山は封筒の中の札を出して、それを数えながら聞いた。
「ええ。就職活動をしていたんです」
「就職活動、ですか」
呟いて、手は動かしていたが、しばらくして止めた。
顔を女に向けた。
吹っ切れたような、爽やかな笑みを浮かべていた。
「家でゴロゴロしているのも能がないし、せっかく幾つかは資格を持っているんだから、働いた方がいいんじゃないかと思って」
「親御さんは、なんと言ってるんです?」
「今は内緒にしています。今日、帰ったら報告します。就職するってことを」
「それじゃあ、断わるんですね?」
「ええ。この報告書を読んで、覚悟がつきました。私、やっぱり、ちゃんと好きでいてほしいんです。お見合いでも、そこは譲れないんです。お見合いの席で、私は彼に恋をしてしまいました。あの人を見た時、ぽーっとなってしまって、子供染みてるけど、それは仕方ないことですよね。素敵だったんですもの。ああ、この人の奥さんになるんだって、新婚生活を思い描いたりして。あの人と、綺麗な女の人が街を歩いているのを見た時、私は自分を凄く子供だと感じました。彼は彼の世界を、しっかりとした大人の世界を持っていて、あの女の人も、そこの住人だと思えました。それに引き換え、私は全く子供でした。私は少しも、あの人の世界に似つかわしくなかった。初めはそれを否定したけど、否定して、結婚するんだって意地にもなったけど、でも、やっぱりそれじゃあ、幸せにはなれないと思うんです。今日、こうやって、はっきりしたことが判って、気持ちをきちんと切り替えることが出来ました。他に愛している人がいるくせに、無理に結婚なんかしてもらいたくない。私は、もしこの先結婚することがあるとしたら、お互いに想い合っている人としたいと思います。人生は一度だけだもの。本当に好きで、本当に愛してくれる人と」
クスッと、照れたような笑みをこぼした。
「そんな人と巡り会えるか判らないけど」
「あなたなら巡り会えますよ。あなたに相応しい男は、なかなか数が少ないでしょうが、きっとね」
「まあ、嬉しい。ありがとうございます。私、しっかり仕事をして、ちゃんとした大人になります。結婚なんて、それからの話です。自分が出来ていないのに、他人と一緒に家庭を築こうなんて、おこがましい事だったんだわ」
桐山は優しく微笑んだ。
「そこまで厳しくしなくともいいと思いますよ。きちんと人間が出来ている人間なんて、そう滅多にいるものじゃありません。それに私から見れば、あなたは今でも充分にきちんとしている。でも、あなたが今そう思っているということは、素晴らしいと思います」
精算を再開し、釣りを封筒に入れると、それを領収書と共にテーブルに戻した。
彼女は会釈をし、報告書とそれらをバッグにしまった。
そして改めて、行儀のよい一礼をする。
「初めに打ち明けて下さって、ありがとうございました。友人である加藤さんの調査だなんて、きっと楽しいお仕事ではなかったと思います。引き受けて下さって、感謝しています」
「これが私の仕事です。調査対象が偶々知っている人間だった。こういう仕事では、きっと何度かそういう状況にもなるでしょう。でも、仕事は仕事です。もとより覚悟の上です」
若い女は、真っ直ぐな瞳で頷いた。