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小説|朝日町の佳人 12

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 美里さんは旧店舗に用があるということでその前で分かれ、三人で元の駐車場に戻り、水野さんだけが自分の車で帰っていった。
 このまま沢口氏を家に送り届ければ終わり、だったのだが、時計を見れば百合の出席している結婚披露宴も終わりそうな頃合いだ。
 まずいなと、僕はしばし考えた。
 そして、助手席に移りましょうと言う沢口氏を振り返り、言った。

「あの、実は今から百合を迎えに行かなくちゃならないんです。百合を拾ってから、お宅にお送りするということでいいですか?」
「ええ、もちろんです。そうですか、百合さんを」
「友達の結婚式に出ていて、それが終わったらすぐに迎えに来いって話だったんですよ。暇だったんで、つい引き受けてしまって」
「いいじゃないですか。それなら、おめかしをした百合さんを拝見できるという訳ですね。楽しみです。では私は、このまま後ろに座っていた方が良さそうだ」
「え?いや、そんなこと言わずに、前に来てもらった方が」
「いえいえ、遠慮しておきましょう」
「また変な気を回してるんでしょうけど、本っ当に、勘違いしないでくださいよ、お願いしますから」
「ええ、判っています。わざわざ前に移動するのが面倒なだけですから、さあ、出発しましょう」
 
 それで沢口氏を後部座席に乗せたまま、まるきり運転手のようにホテルに向かったはいいのだが、百合の姿が見当たらない。
 予定では、ホテル前の歩道に立って待っているのを見つけて拾うということだったのだが、角地に建っているホテルのどちらの道路沿いにもいなかった。
 もちろん沢口氏も窓ガラスに額を付けるようにして歩道に目を向けていたのだが、彼も見つけられなかった。
 ホテルのある一区画を二周してもいないので、沢口氏の方から、次にいなかったら車を停めてホテルの中に入ってみましょうと申し出があり、結局その通りになった。
 
 正面から入って左手にフロントがあり、右側がロビーになっていた。
 中に入ってみると、何のことはない、百合の姿はそのロビーにあった。
 僕は沢口氏の腕を肘で小突いて、百合の方へ向けて軽く顎をしゃくった。
「おや」
 と、彼は声を出した。
 百合は友人たちと御歓談の最中のようだ。
 人を無理に迎えに来させておいてこれなら、素直に二次会に行けばよかったのにと、溜め息をつきそうになったところで、百合の表情が多少曇っている事に気付いた。
 よく見れば、立ち話をしている十人程の女の子たちは何となく二つのグループに分かれていて、その少数派に百合はいた。
 マジョリティーのリーダーと見られるのは、淡い色合いの服装が多い中、紺色のやや胸の開きの広いドレスを着た、百合より随分年上に見える女だった。
 光沢のある紺色に、ピンクのラメの入った白いコサージュが引き立っている。髪形は夜会巻きだ。
 別に老けているという訳でなく、大人びていると言った方が失礼もないだろうが、百合の年齢を考えると、もしかすると百合の方が子供っぽく過ぎるのかも知れない。
「何か面倒があったのかも知れませんね」
 沢口氏が静かな口調でそう言った。
 百合が二次会に行きたがらない理由を、僕は掻い摘んで車中で彼に話していた。
 話さなくてもいい余計なことと言われるかも知れないが、僕の気持ちを変に勘ぐっている彼には、仕方なく迎えに行く僕の心情を理解してもらうために必要な話だったのだ。
 少しだけ聞こえてくる声と口元の様子から、どうも二次会へ行く行かないの議論のようだ。
 百合はやんわりと、時々優しく微笑みながら断っているのだが、紺色リーダーはやんわりと、これまたや優しく微笑みながら誘っている。
 見た目の朗らかさとは裏腹に、彼女たちの腹の中では愛憎が渦巻いているのかと思うと、そら恐ろしくて声をかけるのが躊躇われた。
 どうしたものかなと立ちすくんでいると、多数派側に見覚えのある顔を見つけた。
「根木さん」だった。
 呟いた僕に、沢口氏が顔を向ける。
「お知り合いですか?」
「ええ。あの後ろ側の水色のスーツの。多分、取引先の従業員の方のようです」
「なるほど。奇遇ですね。さて、そろそろ百合さんを助けに行きますか」
 そう言うと、僕より先に沢口氏は行動を開始してしまった。
 機を逸した心持ちで後を追う。
 
 彼が一群に堂々と、形の良い歩き方で近付いていくと、誰ともなく彼に目を向け始めたが、百合はその中でも気付くのが遅い方だった。
「百合さん」
 と、声をかけられ、初めて振り向いて驚いている。
 それは驚くだろうが、百合は「一郎さん」と思わず言うのを「い」で止めた。
 僕の想像だが、彼女はその名を誰にも教えたくないために口をつぐんだのだ。
「驚かせてすみません。遅いから、図々しく中まで入ってきてしまいましたよ」
「え、ええ」
 百合が目をパチパチさせないように努力しながらこちらに目を向けたので、僕は肩をすくめてみせた。
 そして根木さんの方を見ると、彼女も僕に気付いたようで、若干離れた距離ではあったが会釈をする。
 僕もそれに応えて控えめに微笑んで頭を下げた。
 それを見た百合が少し首を捻ったが、そのうちに沢口氏が一群に向かって「お話し中のところを邪魔してすみません」と断った。
 紺色リーダーは少しキョトンとしていた。
 沢口氏は再び百合に向かって言った。
「そろそろいいですか?まだ時間がかかりそうなら、私たちはそこの喫茶店で時間を潰していましょうか?」
「あ、いえ、私も」
 百合は何となく状況を飲み込んだようだったが、すぐに上手い言葉が出てこない様子だ。
 愛しの一郎さんが白馬にこそ乗ってはいないが、思いも寄らないところで助けに来てくれたのだから、感動もひとしおなのだろう。
 僕は二人の邪魔をしないよう、この場では口を開かないでおこうと決めた。
 そこに紺色リーダーが、嫌みに感じられないように気を使った口調で口を挟んだ。
「嫌だわ、吉岡さんったら。ちょっと用があるって言うだけだから、遠慮してるのかと思ったじゃない。約束があるならあるって、はっきり言えば良かったのに」
 百合は何となくの笑顔でそれを誤魔化し、沢口氏が代わりのように謝った。
「申し訳ない。こんな風に引き止めて誘ってもらえるとは思っていなかったんです。久し振りに友達と話しをする機会だと言うのに、邪魔をしては悪いと思ったのですが、後一時間ほどしか時間がなくて」
 百合はとにかくこの場を逃げようと決心したのか、足元においていた引き出物の紙袋を持ち上げた。
 沢口氏はすかさずそれに手を差し伸べて、荷物を引き受ける。
 リーダーは食い下がる。
「これからお出かけですか?」
「ええ」
「失礼だけど、吉岡さん、こちらはどういう方なの?恋人なら紹介して欲しいわ。水臭いじゃない。それに、そちらはどなたかしら?」
 そちらとは、もちろん僕のことだった。
 沢口氏はこういうアドリブは慣れているらしい。
 すらすらと適当な言い訳が、嘘もつきそうにないその涼しげな口から溢れてくる。
「彼は私の友人で、私は吉岡さんの知人です。どうやらそちらのお嬢さんは、彼の知り合いのようですが」
 沢口氏は根木さんに微笑みかけた。
 リーダーは根木さんを振り向き、根木さんは手早く説明したが、リーダーはその件については特に究明せず、すぐに向き直った。
「それで、三人でこれからお出かけというのね。以前からの約束で」
「ええ。すみませんでした、百合さん。私が勝手に予定を立ててしまったから」
「いいえ。だって、二次会に出ないって言ったのは、私の方だもの」
 二人は束の間、見つめ合った。
 百合に少し元気が出てきた。
 元気を出した百合は、かなり不敵だ。
「ゴメンね。そういう訳で私はこれで。二人はどうする?」
 百合はリーダーに向かって言うと、傍にいた女の子二人に問いかける。
 彼女たちも二次会に行きたくない派の同志のようだ。
 二人とも「私も、百合が帰るんなら帰るわ」というようなことを言い、リーダーが口を挟む間を与えずに百合は「じゃあ、一緒に車に乗って行こ。途中まで乗せてってあげる」と、結論した。
「それじゃあ、私たち帰るから。バイバイ」
 五人でホテルから出てくると、女の子たちは溜め息をついたり深呼吸をしたり、とりあえずほっとしたように体の力を抜いて、沢口氏や僕に口々に礼を言った。
 百合の友達は、僕は本当に車に乗るものと思っていたのだが、しばらく一緒に歩いたところで「じゃあ、バスで帰るから」と、手を振ってあっけなく帰って行った。
 
 結局三人で駐車場に停めていた車に乗り込んだのだが、先に沢口氏が後部座席に乗ったのをいいことに、百合は助手席でなく、そそくさとその隣、運転席の後ろのシートに納まった。
「おい待て。僕は運転手か?どっちでもいいから隣に来いよ」
「あ、じゃあ私が……」
 遠慮がちにそう言う沢口氏の腕を、百合は掴まえて引き止める。
「いいじゃないの、ケチ」
「でも百合さん、さすがにこれは……。お互い田中さんに送ってもらう身なのだし」
「仲良し三人組なんだもの、自動車内の席次なんか気にしなくていいんですよ、一郎さん。居心地の悪い結婚式から開放されたんだもの、もう上座とか下座とかどうでもいいわ。気にしない気にしない」
「僕は気にするよ、凄く」
「はい、出発進行!ああ、嬉しい。一郎さんとドライブできるなんて、思ってなかったもの」
 まるっきり聞く耳を持たない百合を諦め、僕は車を出発進行させてやった。
 まあいい。
 こうやって少しずつ百合の図々しさとかいい加減さとかガサツさを、沢口氏も知るようになるだろう。
 百合は自分で自分の首を絞めているのだ。
 ざまあみろ。
 しかし百合は自分の愚かさも気付かずに、沢口氏から彼が一緒にいる理由を一通り聞き出したところで、呑気に後ろから話しかけてきた。
「ねえ、根木さんのこと知ってるの?」
「あ?ああ、会社の取引先に勤めてる人だよ。昨日の飲み会でも一緒だったんだ」
「へえ、そうなんだ」
「なに?仲悪いのか」
「ううん、別に、そんなんじゃないけど。根木さんとはあんまり話したことないし、でも、あの人ほど嫌な印象はないわよ」
「そう。良かった」
 ルームミラーで、首を傾げている沢口氏に気付いた。
 百合がそれを覗き込む。
「どうかしたんですか?一郎さん」
「え?ああ、いや、何でもないですよ。すみません。それにしても百合さん。今日は一段とお綺麗ですね」
 百合はしおらしく頬に手をあてる。
「やだ。こんな近くで、そんな風に言われたら恥ずかしいです」
 自分から近付いて居座ったくせによく言う。

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