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小説|青い目と月の湖 5

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 ジョルジオは昼食を済ませた後で、トウモロコシの生育具合を見るために畑に来ていた。
 小さな鎌で一つを刈って、緑の皮を剥ぐ。
 美しい黄色の実はぎっしりと詰まり、揃っていて、一つ一つに張りもあった。
 満足してもう二本取ってみたが、それもいい具合だった。
 ジョルジオはほくほく顔で鎌を作業用エプロンの脇に差し込み、三本のトウモロコシを前面の大きなポケットに入れた。
 白と黒の混じったフサフサの眉が垂れ、皺は深いが陽に焼けて逞しくも見える頬の肉が上向きになる。
 眉と違い髪はほとんど白かったが、充分と言っていいほどの量を保っていた。
 その白い頭が金色の穂先の合間を縫って動き始めた。
 手伝いに来ている役人と孫に茹でて食べさせてやるところを想像して、ニヤニヤ笑いを顔に浮かべながら道の方へ歩いていると、人の声が聞こえてきた。
 耳は悪くない方だが、いつもより良く聞こえるような気がした。
 足を止め、左耳を会話の方へ傾ける。
 
「そうなんだ」
 聞き覚えのある子供の声だ。
 孫のキャシーの友人の一人に違いない。
「お前、昼飯食べるんじゃなかったのか。食べたのか?」
「うん……気になったから」
「早く帰るんだな」
「うん。クロードはどうするの?」

 クロード!
 そうそう。
 と、ジョルジオは手を打ちそうになって、慌てて動きを止めた。
 そうだ。
 これはあの魔法使いの声だ。
 改めて耳を傾ける。

「帰るに決まってるだろう」
「歩いて?」
「ああ」
「どこかから馬でも借りてこようか?ちょっと行ったら、ここの厩舎があるし」

 ここの?……わしの馬じゃないか!勝手なことを。

「いいよ。別に他に仕事がある訳じゃない。のんびり帰るさ」
「そう」
 ジョルジオはそろそろと道の方へ近付いていった。
 トウモロコシの茎をそっとかき分けて、一段高くなっている道を見上げる。
 黒い服に黒のトレンチコートを重ねたクロードと、配給係のハンスが向かい合わせで立っていた。
 クロードはおもむろに手を動かし、俯いているハンスの頭を撫でた。
 無表情の顔しか見たことがなかったが、クロードのその時の表情は意外なほど優しく見えた。
 クロードはハンスの頭から手を離すと、今度は急に声を出した。
「誰だ?」
 そう言った後でクロードはジョルジオの方を向いた。
 ハンスも驚いてそちらを向いた。

 ジョルジオは慌てたが、慌てても仕方がないと悟ると、開き直って笑いながら歩いて畑を出た。
「これはこれは、誰かと思えば魔術師クロードさん」
「どうも。ジョルジオさんでしたね?」
「そうそう。や、どうも、こりゃ」
 クロードとハンスは、左右の手をそれぞれ引っ張って、ジョルジオが道に上がるのを助けた。
 ジョルジオはクロードが自分の顔でなく、その左側を見つめている気がしたが、それよりもハンスが自分の脚をじっと見ている方が気になった。
「どうしたんだい、ハンス?」
「ううん。膝を痛めたって、朝聞いてたから。もう治ったんですか?」
「あ、ああ。まあな。朝は調子が悪かったんだがね、昼飯を食べたら何となく体が軽くなって」
 ジョルジオは笑ってごまかすと、クロードに顔を向けた。
 クロードはやや遅れて、ジョルジオに視線を合わせた。
「さて、それで、君がこんな所にいるって言うのは」
「ええ」
「お呼びがかかった訳だね」
「でも、役に立てませんでした」
「そうかね。いったい誰が……いや、止めておこう。いずれ判ることだな」
「そうですね」
 クロードの視線が再び左側に動いた。
 そうなると、少しずつ気になってくる。
「何だね?」
「もしかして、左耳の調子がいいでしょう?」
 ジョルジオは驚いて、無言で頷いた。
「調子が元に戻っても、私を恨まないで下さいね」
「え?」
 訳が判らずに顔をしかめていると、クロードは不意にジョルジオの左耳に手を差し伸べた。
 耳を触ったのではない。
 耳の辺りで何かをしている。
 ジョルジオは緊張して、体は不動のまま、大きく開いた目をきょろきょろと動かした。
 時々、不思議そうに見上げているハンスと目が合った。
 緊張しすぎて、クロードの表情を見損ねた。
 しばらくすると、クロードは手を引いた。
 ジョルジオはすかさず聞く。
「何だね?」
「ええ、まあ」
「それじゃ判らん」
「私がここに来たのも、無駄足ではなかったという事でしょう」
「……いや。いやいや。そんなんじゃ無しに、はっきり言ってくれんか?覚悟できとるぞ、わしは。もう八十年生きとるんだ。魔術師だってあんた以外に何人も見てきた」
「そうですか」
「ああ、ほら、言ってみい」
「あなたの耳の後ろに魔物がしがみ付いていました。耳に手を添えると音が良く聞こえるでしょう?先刻まで、あなたの耳はそんな状態になっていたんです」
「ば、化け物がわしに?」
「ええ。すみません。驚かせたくはなかったんですが、放っておく訳にはいかないので」
「そうだな。そら、そうだな。驚くことはないさ。八十年生きてるんだ。化け物は見たことないが、取り付かれた人間は二、三人見たことがあるんだ。よくある事だ。なあ?」
「そうですね」
「そうそう。驚くことはないさ。それで、その。その化け物はまさか、わしを取り殺そうとしよったんかな?」
「いいえ。魔物とは言えいろいろありますから。今のは悪戯を仕掛けてきただけでした」
「そうか。いや、それにしても、まあ、ありがとう。礼を言わなにゃ。そうだ、これ」
 ジョルジオはポケットの三つのトウモロコシを取り出して、クロードに差し出した。
「これは私の仕事ですから」
「いやいや。まあ、そう言わずに。つまらん物だが、おやつくらいにはなるだろう。そうだ、もういくらか持っていくかね?トウモロコシなら売るほどあるから」
「いえ。これで充分です。ありがたく頂きます」
 クロードは丁寧にトウモロコシを受け取った。
 

 自分がジョルジオ本人の気配でなく、魔物の気配で声をかけたことも、彼に取り付いていた魔物が悪戯とは言え、その耳を食い千切ろうとしていたことも、言わないでおこうと思った。
 八十といえばこの村でも長寿な方だ。
 ジョルジオはあと二十年は死にそうにないというほど達者な老人だったが、それでも余計な不安は与えない方がいいだろう。
 それに、年の功か、ジョルジオは村人の中ではクロードに好意的な方だった。
 自分を内心で怖れているのは肌で感じるが、八十年の気合でそれを追い払おうとしているように見える。
「それじゃあ、これで」
「さよなら、ジョルジオさん」
「ああ、気をつけてな」
 ジョルジオは揃って歩き出した二人に手を振った。

 
 しばらくすると、クロードがトウモロコシを二本、ハンスに分けてやるのが見えた。

 まさか。

 ジョルジオは思う。

 まさか、わしに化け物が取り付いていたなんて。

 急に両腕に鳥肌がたった。
 ジョルジオはそれを両手で擦って収めた。
 そして、忌まわしいものを振り払うように、左耳の辺りの空気を左手でかき回した。

 信じんぞ。
 信じるものか。
 化け物がわしに付いてたなんて。
 そんなのは単なる脅しだ。
 脅かそうと思っただけだ。
 化け物なんか、そうそう居てもらってたまるか。
 あいつは時々こうやって、化け物が居るように見せているだけなんだ。
 そうじゃないと、自分の必要性がなくなるからな。
 そうさ。
 そうに違いない。
 ふん。
 こっちは八十年生きとるんだ。
 そう簡単には騙されんぞ。

 二人の背中を見送りながら、ジョルジオは固く口を結んだ。
 先刻なら聞こえていたと思われる、歩き去っていく二人の会話は聞き取れなかった。
 ジョルジオは首を振り、信じるものかと、強く思った。


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