僕は 捨てられたんです
印刷会社で工程管理をしていたころのこと。私のデスクは、制作部にありました。制作部は6人いて、5人のデザイナーと写植屋さんがひとり。
デザイナーのなかに若い男の子がいました。烏丸君。
烏丸君は二十歳くらいで、細面で痩せていて、いつも俯いて黙々と仕事をしていました。専門学校を出て、この会社にきて1年そこそこ。制作部の魔女様たちに、大切に育てられていました。制作部の一番奥の隅っこが彼の席で、椅子の後ろにギターが置いてありました。
昼休みに、烏丸君がギターを弾きながら小さな声で歌うことがありました。自作の曲だということでした。皆、静かに聞き、うっとりしていました。烏丸君はいつも寂しそうに見えました。制作部のボスがそっとしておくようにと皆に申し渡していました。
ある時、烏丸君に話しかけられました。私が少し絵を描いていると聞いたとかで、それを見せて欲しいというのです。制作部には私と同い年のバイク仲間の優子がいて、この子は美大出(テキスタイルデザイン科卒)で、イラストもかなりの腕でしたから「工務の絵なんか見なくたっていーのに!」なんてやっかんでいました。可愛い子だね、まったく。ぴくっとひきつった烏丸君でしたが「見せて下さい」と重ねて言うので、翌日スケッチブックを持参しました。実際、大した絵なんか描いていないんですけど、まぁ。
翌日の昼休み、烏丸君は私のスケッチブックを見て、この絵が好きだと指差しました。
それから「これも好きだ」と烏丸君は言いました。
烏丸君は珍しくほっこりした表情で笑っていました。「工務さん、もっと描いてください」と言いました。とりあえず、喜んでもらえたようで良かった。それにしても、下手だ。まぁいいや。
そんなことがあって、しばらくして会社近くの料亭で昼食会がありました。そのとき、たまたま、烏丸君が隣に座っていて、彼が話し始めました。
僕は、一緒にバンドやってたお兄さんたちに、
捨てられたんです。
調布のライブハウスに出てました。
金太郎戦車っていうバンドで、
僕、キーボードやってました。
僕以外のメンバーは、ずっと年上で、可愛がってもらいました。
スタジオ借りるために、バイトして、バイトして、
週末はライブハウスに出て。
そこそこ人気はあったけど、それでは喰えなくて。
お兄さんたちは、いつも、メンバーの一人の実家...…
山形の農家だって聞きましたけど、バンド辞めて、
そこに行って畑耕すんだって言ってました。
お前はまだ若いから、ここでがんばれって言われて、
次の日に、みんな消えて。
僕、捨てられたんです。
専門学校に通いながら、バンドやってたから、
学校で友だちなんか、一人もできなかった。
うちのバンドに来ないかって、
誘いもいくつかあったけど、
僕、金太郎戦車が大好きだったんです。
今はひとりで、曲、作ったりしてるけど
寂しいだけなんです。
工務さん、絵、描いてください。もっと描いてください。
うつむいて、涙ぐんでる彼。
制作部の魔女様たちも、涙ぐんでて。
皆、なにか言いかけて、言葉を飲み込みました。
夢を持つって、持ち続けるって、苦しい時もある。
まっすぐ行け!
つま先が向いている方が、前だ!
歩き続けろ、一歩一歩。
泣いてもいいから、歩くのはやめんな!
心で、そう呟いた。