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私の手のこと1   左手が麻痺したり……

幼いころから工作や手仕事が大好きでした。
よく「手先が器用だ」と言われてきましたが
私自身は何を作っても
思うほど願うほどの域に達するような物を作り上げることができず
自分を器用だとは思っていませんでした。
それは今でも変わっていません。
でも、手を動かすことや何かを作ることは大好きで
白い紙を汚し、美しい糸をもみくちゃにして
なんだか物足りないものをせっせとこしらえてきました。

いい加減、大人になってから
じっくり手仕事に向かう時間が持てるようになって
不出来ではあってもなんとか完成まで持ち込めるようになりました。

いろいろやりたいこと、やってみたいことはあっても
あれやこれやに手を出して
なにもかも中途半端なのはもったいないような気がして
下手でも不出来でも良いから
キルト作りを続けていこうと決心しました。
30歳くらいの時でした。


嬉しく楽しくキルト作りをしていました。
インターネットが爆発的に普及して
私もつたない作品を載せたホームページを開設し
キルト仲間ができて賑やかに過ごすようになりました。
多くの人に見て頂けることや
下手でも何でも褒めて頂けることが刺激になって
ステップアップしたような気持ちになったりしました。

けれど、いつの間にか大好きなキルティングが捗らなくなりました。
自分は飽きっぽいからとため息をつきつつも
なんだか変だなと思い続けていました。
左手が重くてキルティングを続けることができなくなりました。

2年も我慢して
気付くと、左手がうまく動かなくなっていて
左手が小さくしぼんで、腕も細くなって
筋力もひどく低下していました。
頸椎ヘルニアという診断でした。


「筋電図」の検査を受けましたが
脈が弱いとか?で強烈な電流を流しても
筋電図を取ることが出来ませんでした。

大きな病院の検査室の大魔女様3人がかりで
夜になって病院は閉まってしまったのに
二時間も頑張ってあれこれやってくれたのですけど.…

こんなに強い電流を流したら、痛いでしょう?

いいえ、左手、麻痺しているので
重苦しいと感じるだけで痛みはありません

その日の検査は諦めることになりました。
しかし、強烈な電流が電撃的に効いたものかわからないけど
翌日から僅かずつ麻痺が解消されていきました。
麻痺が取れたら今度は神経痛に悩まされるのでして
なんだかなーと思いつつも
左手が重し代わりにしかならない状態では
手仕事どころではなく、家事もまともにできません。
お財布を開いたり小銭を取り出すもの困難でしたから
痛くても動く方が良い、よね。

3年ほどかかって、ほどほどに手の動きが回復しました。
完全ではありません。
いまでも手を握ったり開いたりすると
左手は動きについていけなくなり
ちゃんとしたグーにならなくなります。
指を巻き込んで握ることはできません。
小指はかろうじて曲がり、立っています。

以来、キルト作りに邁進するという目標は捨て
その日できることをできるだけ楽しむ方向に転換しました。
左の小指がヨレヨレなので
編物のときに糸のテンションを調整するのに苦労しましたが
いまではそれなりに使える小指になりました。

キルト作りに復帰するまでに数年必要でした。

手の動きがほどほどに戻って
悶絶するほどの痛みもゆっくりと消えていき
さぁ、これから、というときに
酷い手荒れに悩まされるようになりました。

はじめはチョットした湿疹だと思っていたのに
それが簡単に治らず、広がり、猛烈な痒みがありました。
気付くと両手の指ばかりか手のひらまで凄いことになっていました。
薬局で買ったいろんなお薬を塗ってみたけど
なにひとつ効きませんでした。
湿疹が固まって層になって割れてじくじくします。
絆創膏では間に合わず、ガーゼを当てて
テープでぐるぐる巻きにしました。
ミイラの手、そんな感じ。

ママ友に、それは普通じゃないから
病院へ行きなさいと勧められました。
皮膚科を受診すると、足も診られて
足の裏や指も手以上に凄いことになっていました。
掌蹠膿疱症(ショウセキノウホウショウ)という診断でした。

湿疹があとからあとから湧いてきて
固まって裂けてしまうので
針をつまむこともできませんでした。

この湿疹が消えていくのに数年かかりました。
この時期は薄手の手袋をはめて
編物をしていました。
手袋の指まで巻き込んだりして少し笑いました。

私はこの時期を「失われた10年」と思っています。
でも、ブログを振り返ると
その日できることをできるだけ楽しんでいる私がいます。
こんな無茶苦茶なことが続いたけど
諦めなかった自分を
ちょっぴり褒めてやってもいいかなと思ったりします。








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