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母の青春時代

私の両親は、アマチュアの登山家でした。
私が育った家ではいつも、陽気で汗くさい山男たちが、わいわい酒を酌み交わしていました。

あんたのお母さんは、ただのおばさんじゃないんだからね。
尊敬しなさい、尊敬!
あと10歳若くて、
こんな男と結婚なんかしなかったら
田部井純子さんとエベレスト登頂していたかも知れない!
素晴らしい才能のアルピニストだったんだからね。
尊敬です、尊敬、ヒック

山岳部に入部すると、30キロのリュックを背負って、
日帰りの登山を繰り返して鍛えるんですよ。
やっと頂上にたどり着くと、
先輩に「タバコ買ってこい」なんて云われて
もう一往復させられたりして、しごかれるんだから。
そんなことを百回も繰り返さないと冬山には登れないんです。
はじめてのトレッキングの時、
俺は疲れて、ちょっと休もうって、座り込んだんだよね。
座ったらもう立ち上がれないんだよ。
30キロだよ。リュック。
そしたら、先輩、君のお母さんね。
「霧が出てきたよ~。座ってると死ぬよ~。
後ろから ついて来なさい~」って俺のリュックを
自分のリュックの上に、ポンと乗せてスタスタ行くんですよ。
俺、なんとか立ち上がって、ふらふらついていったけれど
すげ~女の人がいるものだって感動したね。
あのとき先輩がいてくれなかったら
俺は死んでたね。
段々に、後輩を鍛える立場になって
先輩のすごさを思い知ったですよ。ほんと。

岩登りっていうのは、壁のようなところだけ登るんじゃないのよ。
天井みたいなところだって登るのよ。
考えられる?
そっちの登山道を行けば、
ハイヒールの姉ちゃんがハイキングしてんのにさ。

そういう母ですから、
高校生の時は校舎の壁で、ロープの練習をしてお目玉食ったり、女生徒の、泊まりがけの登山大会参加を認めない学校に抗議して、職員室前に座り込みをやったりして、結構なお転婆ぶりだったようです。

母が話していた愉快な思い出をひとつ

二十歳くらいの頃、山岳部の後輩たちと登山したとき、つい遊びすぎて、山の頂上で、日が暮れてしまったことがあったそうです。日が暮れちゃったし、慌てて下山したところで、汽車もバスもないんだから、のんびりしようぜと、焚き火を囲んだそうです。

そのうち嬉しくなって、みんなで月明かりの下で手をつなぎ、宮澤賢治の「ポランの広場」を歌って踊ったというのです。なんとものどかで、美しい青春ではありませんか。

つめくさの花の 花咲く晩に
ポラン広場の  夏祭り
ポラン広場の  夏祭り
酒を呑まずに  水を呑む
そんなやつらが でかけて来ると
ポラン広場も  朝になる
ポラン広場も  白ぱっくれる

つめくさの花の かをる夜は
ポラン広場の  夏祭り
ポラン広場の  夏祭り
酒くせのわるい 山猫が
黄色のシャツで 出かけてゐると
ポラン広場に  雨がふる
ポラン広場に  雨がふる

        宮澤賢治 ポラーノの広場 より

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