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【思い出】インドリンゴとマハラジャの娘


 小学生5年生の頃、父の会社にインドの要人が来たことがありました。父が接待を仰せつかりました。突き抜けた変わり者、アイデアマンだったので白羽の矢が立ったらしい。

 週末、会社から、父は在宅しているかという電話が鳴りっぱなしで、電話番をしていた私はとても困りました。何度目かの電話で、どうも、父がインドのマハラジャと通訳の二人を連れ出し、所在が不明だと分かりました。なにしろ要人であるから、会社は大騒ぎ。

 夕方になって、無事にマハラジャと帰宅した父によると..…

マハラジャの言うことには、インドではリンゴは珍しい高貴な食べ物で、貴族のパーティで一度だけ食べたことがあるとのこと。それで、父は自家用車にマハラジャと通訳を乗せて二時間もドライブして、リンゴ園を目指したらしい。

 見渡す限りのリンゴ園にマハラジャは感激。父がおーーいと叫んでも、リンゴ園の持ち主が現れないので、リンゴをふたつ失敬して、マハラジャと食したらしい。「証拠写真」がどこかにあるはず。面倒だから探さないけど。そこには立派なお顔立ちのインドのマハラジャとリンゴを齧りながら笑う父が写っていました。

 それから父は、マハラジャがお土産として持ち帰りたがった魔法瓶を問屋業を営む父の兄から大量に取り寄せてもらったと聞きました。魔法瓶?なんで?聞いてみると、半世紀前のインドでは魔法瓶は流通しておらず、常にお湯を身近に置くためには、燃料を使い常に火を焚いておかねばならないが、魔法瓶さえあれば夢のような生活が叶うと、そんなことだったらしい。これは素晴らしいお土産になる。なるほど。名前だけのことはある魔法瓶である。今どきは、だれも魔法瓶なんて言わないか。マハラジャは大量の魔法瓶をあっという間に取り寄せる父にも感服したらしい。

 マハラジャは大変な喜びようで、接待役の父を壮大な荘園を持ち、素晴らしいリンゴをふるまった日本のマハラジャであると勘違いしたらしい。通訳はなにをしていたんだ!何年かして父の同僚がインドを訪問、この要人の城のような自宅に招かれたそうです。同僚は玄関ホールで仰天。巨大に引き延ばされ華麗な額に収められた「証拠写真」が飾られていたのだそう。その写真について、日本のマハラジャのリンゴ園で素晴らしいもてなしを受けたと嬉しそうに説明された、とか。父は密かにマハラジャであった。私はマハラジャの娘だったのである..…

 インドを訪問した同僚を通じて、大きな大きなリンゴが届けられました。インドリンゴ。上の方が淡いピンクで下の方が優しい黄色のきれいなリンゴでした。大変な高級品であるとのことでした。

 そのリンゴは戸棚の高いところに飾られ、恐れ多くて食べることが出来ず、最終的に腐ってしまいました。残念な日本のマハラジャです。

 先日、土日だけ立つ市場に行ったとき、リンゴ屋さんに木箱に入ったインドリンゴが一箱だけあるのを見つけました。小振りなリンゴでしたが、いつか到来したリンゴと同じ色でした。私はなにしろ貧しいので買うことは叶いませんでしたが、かつてはマハラジャの娘であったことを思い出したのでした。




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