とりあえず、冷やし中華始めましたぐらいのテンションてやってみようかな。
「Love yourself」
まさか、この言葉を自分が聞くことになるとは夢にも思わなかった。
それはある日の昼下がり、某オンライン英会話で行われたディスカッションコーナーの最後の質問だった。
「あなたは、自撮りについてどう思う?」
この答えに、私はなんの疑問やためらいもなく、私は自撮りをやらないと答えた。
「why?」
先生はなぜ?と問いかけてきた。
「私は、SNSをやってないし、やってたとしてもネットに自分の写真を上げることは苦手だから」
拙い英語で、私の事実をなんとか伝えると、
「why?」
ん?これじゃ、理由になってなかったのかな。
どうしよう、もうこれ以上特に理由ないのに。
「えっと、自分の顔をSNSに上げるのは私にとってすごく恥ずかしいし、勇気がいる」
真っ白になった頭から単語を絞り出して繋ぎ合わせこんな感じのことを言った。すると、
「why?」
え、これもダメなの?これ以上でもこれ以下でもなく、SNS不慣れ&見る専なだけなのに、なんで終わらないの?拷問のように続くwhy責めに焦り、早く終わらせるために
「とにかく、恥ずかしいし、イヤだ」
と、マシンガンを放つように単語を放った。もうこれで納得してくれと祈っていると、先生が急にペラペラと何か早口に喋り始めた。ほとんど早すぎて聞き取れなかったけど、ある一つの言葉だけが耳に残った。
「Love yourself」
この単語の意味は知っていたけど、自分とは縁遠い言葉だと思っていた。
だって、この言葉すごく難しいし、なんか小っ恥ずかしいから。
直訳すると「自分を愛する」
なんか心が受け付けない。
確かに自分を愛せたら人生が生きやすいんだろうなって想像はつく。けど、そういうのって生まれつきの環境とか、性格とか、容姿とか才能とかで決まってるんだよ。どうせ生まれつきのものだから、私とは無縁だな。そう思い、この言葉の意味を理解することも無く、なんならバカにしていた。
自分でも本当にどうしようもなく、性格が捻まかってると思うけど、本気でそう思ってた。
そもそもなんで自撮りから急に自分を愛することについての議論になったのか、私の答えが先生のどこかにスイッチを入れてしまったのか謎である。
でも、熱心に語ってくれる先生の言葉を聞いている(そんなに英語聞き取れなかったから多分ニュアンスでしか分からなかった)と、なんかこれは、もしかしたらすごく大事なことなのかもしれないかもと思い始めた。
あなたはキレイだから大丈夫。
先生にそう言われて、はっと気づいた。
そうか、私ってキレイである必要がないんだ。
この人は、私がモデルやアイドルみたいな芸能人のような美しさを求めてないんだ。
今まで、自分の容姿に対して自身がこれっぽっちもなかったけれど、この言葉が心をふんわりと柔らかくしてくれた。
あなたはあなたのままで、それでいい。
そう言われた気がした。
もちろん、可愛いとかキレイとか褒められた嬉しいけど、それよりももう綺麗でいる必要がないって言われることがすごく嬉しかった。心にこびりついていた汚い何かがポロッと取れたような気がした。
それから、レッスンが終わり、ぼーっとしたまんまだった。この授業はたぶん一生忘れない気がするな。(しかし、SNSに自撮りする予定は今のところない)
それから、自分を愛する・自分を大切にすることについて、調べれば調べるほどすごく心がスッキリした。そして、私みたいな人間に今1番必要なことかもしれないと思い始めた。
ここ最近、なぜかすごく苦しかった。別に、何かショックな事件や出来事が起きたわけではない。しかし、人と自分を毎日比べ、落ち込んでは夜も眠れずというような日々だった。さらに、この生活に未来があるのかなんて、考えても答えが出ないことに真剣に悩み、また心が重たくなっていた。
この現状を変えるためには、何か大きなことをしないとダメだ。そう思い、何かやろうとしても、自分の容量に合わないことを始め、また心が折れる、そして焦る、悩む、眠れなくなる、そんな繰り返しだった。
でも、今気づいた。
そんな大きなことしなくても、ちゃんとあるんだ、
自分を変えられることが。人からみたら些細なことだけど、自分には大きなことがちゃんとある。
今がその時なのかもしれない。今まで無視してきた、自分を愛することについて知るときが。
でもいきなり自分を愛するっていうのは難しい。
まず、自分を愛するって言葉が固いし、重い。なんか自分の体に馴染んでこないから、もうちょっとパンを捏ねるぐらいに柔らかくしないと。
あと、自分を好きになる、これも難しい。
だって、自分の嫌いなところ多いし、今まで怒られてきた回数が多すぎて、たぶん好きになることは一生かかってもムリそうだし。
自己肯定感とか、自分を愛するとか大切にするってちょっと大きすぎるな。なにかもっとお手軽に、アマゾン頼むぐらい楽に始められることないかな。
そんな時ふっと、隣にいる大きなペンギンの人形が目に入った。このペンギンはもう4年ぐらい前に、某大手インテリア量販店から連れて帰ったヤツである。幼稚園児ぐらいの背丈があり中々大きいのだが、毛並みがふわふわしていて抱き心地が最高なのだ。(なぜかいつも気難しい顔している)
布団の上で寝転がって一緒にゲームしたり、漫画読んだりするの(実際ヤツはただ布団に寝っ転がっているだけだが)この時間すごい好きだなぁ。この時間ら、何も考えないでいられる。寝転がりながら、窓の外に広がる青い空がキレイで、幸せだな。
もしかして自分を愛するって、自分の好きを探して、自分の幸せを知ることなのかもしれない。そうか、自分の幸せを知ればいいんだ。うん、これが1番しっくりくる。
自分を愛するとか好きになるとかはいつか気がついたらできてるといいな、くらいの気持ちでまずは
自分の幸せを知ろう。
その自分の幸せを知る第1歩として、noteを始めてみることにした。今まで読む専だったけど、思い切って挑戦してみよう。
noteには、たくさんの人の幸せがゴロゴロ溢れていて、いろんな世界を覗くことができてすごく楽しかったなと思い、あ、これもしかしたら幸せの一つかも。と気づいた。そして、私もこの世界に入ってみたい。そう気づいたら、もう直ぐに書き始めてた。
文章力もなんにもない拙い文だし、つまらないけどとにかく自分の好きを見つけて、幸せを知りたいのだ。
とりあえず、隣で寝っ転がっている仏頂面のペンギンと一緒に中川家のYouTubeでも観よう。
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