口蓋扁桃摘出術→下鼻甲介粘膜焼灼術→後に鼻中隔湾曲症治療までの長ーいみちのり⋆*✩⑅◡̈⃝*
初めまして。50歳のcanariariaです。
この歳になって50年苦しんできた鼻閉と決別してきました。
手術をするまでの長〜いみちのりと記します。
私は見た目は中肉中背で健康そのものに見えるねーと言われるタイプ。
呼吸器は少し弱くて子どもの頃はよく熱を出すとーっても体の弱い子でした。
季節の変わり目には必ずといっていいほど扁桃腺が腫れて高熱が続き、鼻詰まりで息できなくなって定期的に小児科で点滴とネブライザー(吸入器)で治療し、両親には随分心配をかけていました。
父も同じく季節の変わり目に扁桃腺が腫れて高熱が出る人で大好きな父だけど、ここは似なくて良かったのにと何度思ったことか。
父は昭和の民間療法である“もぐさ“を手のひら中指付け根にあるツボに乗せて線香で点火。絶対に死んでもやりたくない治療法で見事に熱を下げ完治させる強者でした。
もちろんそんな拷問のような治療をするくらいなら40℃の高熱のほうがマシな訳で常備薬はバファリンと塗る風邪薬ヴイックスヴェポラッブにブロスの咳止め。
熱が出たら喉も痛いし今みたいにゼリー飲料もなく甘〜い桃の缶詰しか食べれないと買ってきてもらっていました。
高校生になってもやっぱり鼻喉は弱く、当時はポケベルと家電がお友達とのコミュニケーションツール。
学校から帰宅してご飯食べてお風呂入ると勉強もせずにお喋りしていたわけで、よく『鼻息が荒いねー鼻詰まり?息苦しそー』なんて笑われて、あえて口呼吸を意識したり今思えば鼻喉弱い事で思春期悩んでた事を覚えています。
高校2〜3年頃になると体もしっかり大人になり、恒例の季節変わり目に起こる扁桃腺腫れと高熱が幼少期よりも長引き始めるようになりました。
加えて扁桃腺が腫れてくると喉に違和感を感じるようになり、鏡で覗くと扁桃のボコボコした部分に1〜5㎜の白いチーズみたいな粒が付着していて咳したり圧かけたりするとポロッと取れるわけ。そしてこれ、なんともいえない不快な異臭を放つのです。
これ大人になって調べたら膿栓っていうばい菌の塊で死んだ免疫細胞や細菌・ウイルス・食べかす・たんぱく質などが白くなり溜まったものだそうです。
悩みました。当然恋もしていましたし、自分の喉から変なチーズみたいな粒が出てきて気持ち悪いっ!彼に知られたら嫌われる?なんて勝手に落ち込んだり。
嫌いな病院も真面目に行きます。
病院に行くと扁桃腺が原因で腎臓の数値が悪くなることを告げられ扁桃腺切除を勧められました。
加えて鼻の手術も勧められ、歯肉を切開して上顎骨をノミで一部除去し、幹部を露出して行う手術方法を聞いて震え上がってしまいました。
今みたいに情報もなくただただ手術は避けたいと真面目に薬を飲んで、梅がゆや素うどんで乗り切りました。
あまり高熱を出す事もなくなりなんとか手術から逃げ続けてる⁈と思っていた矢先、専門学生時代に友だちの家でダウン
その後当時の県立中央病院で口蓋扁桃摘出術を受けることに
県立中央病院って幽霊出そうなボロボロの病院で21時の消灯時間になると真っ暗
眠れない人は院内の青白い小さな灯りと非常灯がぼんやり灯る談話スペースの焦茶の古びたソファに集まるんだけど
青白い小さな灯りの周りをブンブンと何か飛んでいて寝る前だからコンタクトレンズ外してる目を凝らしてよーく見るとGが2匹くらい飛んでるホラー経験
この時のブンブンがきっかけでGがマジでダメになりました
扁桃腺手術後
夢のお江戸ライフがスタート
水合わない食べ物合わないでアレルギー症状がでるようになり合わせて花粉症発症
今まで以上に鼻詰まりくしゃみの症状が強まり耳鼻科通いは続きます
数年後に地元へ帰ってきてもネブライザーにアレルギー薬
点鼻、花粉症の季節には注射等色々対処療法に舌下免疫療法までやったけど完治せず
10年くらい前から通年性アレルギー性鼻炎になり、耳鼻科行く度に『あー、この鼻は詰まるわー奥が狭いから苦しいよね』と
鼻の中の粘膜(下鼻甲介といわれる部分の粘膜)の表面をレーザーで点状に焼灼する下鼻甲介粘膜焼灼術を試みようと申し出るもコロナ禍の影響で中止
仕方なく抗アレルギー薬に痰切り定期的に抗生物質点鼻薬の薬漬け
お酒飲むと2杯目には鼻閉で息苦しさを我慢しながら騙し騙し薬で誤魔化しやーっと2年前に下鼻甲介粘膜焼灼術を受けました
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