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シンボライゼーションの害悪
【注意】
この投稿はセンシティブなトピックを扱う。
私が育った国では、第二次対戦中に政権を取っていた政党の党旗を想起させるシンボルを公共の場で掲げることは基本的に違法である。その政党は数多くの“邪悪”な作戦を計画し、実行に移したからだ。
これらの作戦がいかに“邪悪”であったかについて、小学校から厳しく教育されてきた。その厳しさ故に、このトピックについて語らねばならない時、私は多かれ少なかれ感情的になる。今思えば、感情的になるよう仕向けられていたのかもしれない。
疑問には思っていた。日本の教科書を手に入れた小学生の私は父親に「どうしてハーケンクロイツはダメなのにこれはいいの?」と地図記号のページを指差して尋ねたことがある。父は言った。「なんでだろうね。おかしいね。」
ここで多くの人は私が「日本は卍を禁止するべきだ」との考えに至ると思うが、現実は真逆だった。
私は小学生なりに「卍」について調べ、その歴史がハーケンクロイツよりも長く、スワスティカは世界のあらゆる地域で神聖な意味を持つシンボルであることを知った。ハーケンクロイツはそれらをまさしく“盗用”していた。それはナチスの発明であるかのように信じていたがそうではないことを知った。
「なぜハーケンクロイツが禁止だからといって卍も禁止されなければいけないのだろう」
昨今“文化盗用”という言葉が日本でも駆け巡るようになったが、アヴリル・ラヴィーンが楽曲で、アリアナ・グランデがMVで日本語を多様しようと、それは当事者である日本人の私から見て、到底“盗用”とは思えない。
ハーケンクロイツの例が“正しい”盗用の例であると感じる。
「ハーケンクロイツ“様”の紋様はナチスを想起させる」ことがそもそも間違っているのである。時系列が真逆だからだ。
私はそもそも、過去の凄惨な歴史を想起させるシンボルとなりうるものを禁止すること全般に反対なのである。それはハーケンクロイツにとどまらない。
ナチススタイルを含む軍服
旭日旗
日本人以外の和服の着用
”ブラック“以外の人々によるコーンロウやブレイズを含む“ブラックヘア”
挙げればキリがなさそうだが、私はこれらを禁ずるという社会の動きに反対する。
そもそも特定のシンボルを禁ずることはフェアではない。
なぜポルポト政権が170万人以上とも言われる犠牲をだしながらクメール・ルージュを排出したカンプチア共産党旗は禁止されていないのか。なぜそれを想起する「鎌と槌」は世界のあらゆる場所で使用されているのか。
なぜベルギーはルワンダ虐殺の根本原因を作っておきながら、ベルギー植民地帝国旗と同じデザインの現在のベルギー国旗を変更しないのか。
それは“邪悪さ”に優劣があるからだろうか。
それとも虐殺された命の重さが違うからだろうか。
私はそうではないと思う。
単にユダヤ人コミュニティがホロコーストを“好機”とし、政治的影響力を手に入れたからに他ならないと、私は考えている。そして私を育てた国はそれを助長した。結果、強い政治的圧力が働き、ネタニヤフ大統領率いるイスラエルを支持する他なく、ガザで起きているパレスチナ人という特定の人々の殺害を間接的に容認し、ナチスが起こした誤ちを繰り返している。
過去に有罪とされた組織や人々のシンボルをこの世界から排除したとて、同じ罪を犯さない防止策にはならないのだ。
シンボルの禁止なんてただの目眩しだ。
過去を償ったかのように振る舞うためのポーズだ。表面的なポーズは何も解決しない。そもそもシンボルを掲げること自体が表面的なのだから。