もう推しを降りる時が来たのかもしれない
推しグルはたくさんいる。いつ降りても大丈夫なように、とは言わないが過去に推しの死を経験したため保険をかけている側面は間違いなくあった。
推しグルの新EP発売に先立ってコンセプトフォト/ビデオが公開された。
雰囲気あってかっこいいとは思う。そして推しの顔がいい。これは揺るがない事実だ。
それと同時に「えっ?」と違和感を抱いたのもまた事実だった。よく音楽や推しの話を聞いてくれる父や周りの人にこの写真やインスタグラムの動画を見せてみた。私と同様に「え、何これ?」「これは良くないよ」と不快感を抱いた様子だった。
違和感の正体
ご覧になった方によってはお気づきかもしれないが、このスカーフの巻き方はテロリストがよくやっている巻き方である。まさしく「テロリスト巻」と呼ばれることもあるようで、故アラファト議長がトレードマークにしていたことからパレスチナの象徴ともされる。
現状として、イスラエルがハマス殲滅を掲げパレスチナへの攻撃を行い、そのイスラエルに対しイランが報復攻撃し、中東は戦争状態が長く続いている。
中東付近の文化や対立の構造は非常に複雑であり、私は専門家ではないことからこれ以上の説明は控えたい。
その上で
イラン系のメンバーをセンターに挿げて
半数近いメンバーにテロリスト巻をさせている
ことが、私の抱いた違和感の正体だと気づいた。
「ギャングスタ風」 を狙ったならば髪までスカーフで覆う必要性はなかったはずで、全員目出し帽でもよかったはずだ。
私はイラン系の血が悪いとか、そういうことを言っているのではないので誤解なきようお願いしたい。
この「偶然」の組み合わせが政治思想を匂わせる可能性があるというだけの話だ。
これをよりによって戦争状態に終わりが見えない今やる必要性がどれくらいあったのか疑問なのだ。
アーティストと政治
私はアーティストが政治的メッセージを発すること自体には特に異論はない。その点、父の感想は違っていて、彼は「アーティストに政治的メッセージを掲げさせるのは好ましくはない」という意見だった。
実は彼ら、下記投稿の当事者なのだ。
彼らは一部の"ブラック"へ配慮しブラックヘアを取りやめることを決断した。
私はブラックヘアをキャンセルされることを選ぶのも、無差別攻撃を受けたパレスチナへの連帯を示すのも(そういう意味だと確定したわけではないが)、彼ら次第だと思っていて、「こういう思想じゃなきゃ嫌だ」とか思っているわけではない。
しかし「僕らはボーイズグループでエンタテインメントを商業としてやってて、今の現象はともかく、やっぱり僕らはインフルエンスする力を持ちたいと思ってる」(Maison B TV #/23)という、公式YouTubeチャンネルでの発言と整合性が取れないように感じる。政治色を出さない、センシティブなことはしないことを目指していたように読み取っていたのだが、ブラックヘアを取りやめることも、クーフィーヤ風に布をテロリスト巻にすることも、どちらもとても政治的な選択だ。そして一度政治的選択をした以上、アーティストに「そういう色」が付くことは避けられないと、私は考えている。
もし、万が一、例えば、仮に「犯行声明風でかっこいい」とだけ思っていたのだとしたら、これにGOを出した人々は浅はかで悪趣味だと、個人的には言わざるを得ない。そうでないにしても、アーティストが連続でこういったことを背負わされてあまりに可哀想だと強く思う次第だ。そしてよりによってイラン系日本人のメンバーにこれをやらせるのはあまりにもグロテスクのような気がしていて、なんだか煮え切らないのだ。
プロデューサーであるKEN THE 390が「俺が金出してでも撮り直したい」と言ってブラックヘアをしない選択をした結果が最終的にこの選択になったことは、本当に正直な気持ちを言うと、かなり遺憾だ。
そもそも大前提なのだが、これを取り止めろと言っているわけではない。
土地をめちゃくちゃにされて、奪われようとしているパレスチナに連帯を示したってもちろん良いのだ。イランのイスラエルへの攻撃ではアイアン・シールドにより死者は出なかったようだが、無差別攻撃の標的になった無実の民もいることは、広島・長崎・東京大空襲を経験した日本という国の民として、考慮する価値はあるかと思っている。
アーティストに政治的主張はさせるべきでない理由
余談だが、父の意見も私はよく理解できる。
ミュージシャンはいくら政治や国際情勢に関心を持っていたとしても、専門家ではないのだ。下手すると誤った、もしくは不十分な知識を拡散してしまうリスクがある。「#/検察庁法改正案に抗議します」ハッシュタグのTwitterデモに参加したきゃりーぱみゅぱみゅのツイートに対しファンの間で対立が起き、後日そのツイートは削除されたことが思い出される。
アーティストのファンというのはアーティストの作品が好きなのであって、必ずしもその人の主義主張を同じにしているとは限らない。政治的立場を表明することは一種のカミングアウトのようなもので、ファンによってはその立場を支持しない人も当然いて、主義主張というのはどう頑張ってもぶつかり合ってしまうものであり、その対立を煽ってしまうリスクがある。
幅広く支持されたい、影響力を持ちたい、幅広い層に自分の作品を届けたいと思うなら主義主張は心の内側にしまっておくことが懸命だろう。
本人がやるのでさえリスクが高いのに、それを運営側がアーティストにやらせるのはもはや論外だと、正直思う。
政治主張しても良いアーティスト
私は、上記の通り、アーティストが政治主張するのは「絶対にダメ」とは思っていなくて、「自分の思想に賛同した上で作品を支持してほしい」という人もいるだろうと思うのだ。それにヒップホップやロックなどのジャンルにおけるプロテストソングは政治的主張を含んでいる可能性は当然あって、むしろそれが自然なのではないかと感じている。
逆に中華人民共和国のような社会では「国を讃える歌を歌うことで好感度を上げる」という作戦は、私の知る限り、アイドル界でもある。もっと言うと好感度の高いタレントは政府広報部からプロパガンダソングのオファーがくることもある。
ちなみに私はこの手のプロパガンダソングや愛国心を歌った音楽は(中国に限らず)とても興味深いと思っていて、好んで聞いている。各国それぞれの立場が明確に現れていて、それが音楽という形としてスッと入ってくる様は、どんなに泣けるラブソングよりも文化的遺産だと思っている。
取り留めのない文章になったが、こういうゴタゴタもあるし、ブラックヘアの投稿に関しても発端となったポストの方にあらゆる形でお叱りを受けたし、「なんだか推してて楽しくないかも」「今までのように純粋に楽しいという目で彼らを見ることはできないかも」と感じた次第だ。
彼らは6/28にライブを控えている。
本当に降りるかどうかはそれを見て判断したい。
この日しか見られない、特別な内容になっているそうなので、むしろ私の投稿を見て興味を持った方はぜひ足を運んではいかがだろうか。
イープラス、チケットぴあ、ローソンチケットでまだチケットがあるのでぜひ。
パフォーマンス力の高さは私が保証する。