学問で生きづらさから救われた話
私が日本へ行く決意をした理由は育ってきた社会が生きづらかったからに他ならない。正直にいうと現地人を嫌いになるほどだった。その理由は一旦別の機会に語るとして。
日本で大学の外国語系の学科に進学し、とある論を読んでから心がとても軽くなった。西洋人は狩猟民族が、東洋人は農耕民族が多く、民族により行動様式が異なるという論だ。
ざっくり言うとこういうことらしかった。
狩猟民族:少数の集団で生活が可能、獲物の収穫具合に生活が依存し不安定、危機をその場で切り抜ける手腕が必要、競争的な社会
農耕民族:集団生活が基本、天候など環境に影響されやすい暮らし、失敗したり裏切り者が出ると集団全体が危機に晒される、協調的な社会
これが現在の学説でどこまで正確な話なのかはさておき、私にはひどく生きづらかった社会を形成している現地の人たちも、「あなたに日本社会は合わない」と諭そうとした日本の人たちのことも、なんとなく許せるようになった気がした。私の育った社会が生きづらかったのではなく、現地の人たちにとっては生きやすい社会だっただけで、日本にやってきた私は以前より少し生きやすい場所を見つけただけなのである。
でもこれはとても大きなことで、故郷を捨てた自分を負け組だ責める必要はないし、その他大勢に紛れることを快適と感じる自分を責める必要もない。自分にあった社会を選んで良い。そしてそれができることは恵まれていることでもある。
ちょっと前向きになれた体験だった。