多文化共生講座 在住外国人パネルディスカッション「聞かせて!外国人の日本生活」 所感
品川区開催の多文化共生講座 在住外国人パネルディスカッション「聞かせて!外国人の日本生活」に行ってきた。
海外出身で日本に移住した身であると同時に「外国人」という立場でヨーロッパで育ってきた自分が聞いたらちょっと面白いのではないかと思い、区外在住でも参加可能だったので行ってみた。
昨年度の様子はこちらから:
結論から言うと、あまりにも予定調和な内容で全く学びにつながっていないと思った。パネルディスカッションを冠しているがディスカッションでは全くない。言いたいことはアンケートに書きたかったのだが、このセミナーの予定調和っぷりはアンケートにまで徹底されていて、さも「どうだ勉強になっただろう」というテイで設問が設定されていて、講座の良し悪しについて言及させるものでもなかったので、ここに感想を記す。
講座の主な内容
司会は多文化共生事業を行っていると言うひらがなネット株式会社の方。多文化共生に関する外国人/日本人向けメディアの制作、研修・講座、そして「やさしい日本語」を広める活動を行なっている事業者のようだ。
ホームページはこちら:
まず区内に住む外国人の割合とその内訳について紹介がなされ、その後に外国人が日本生活で困っていることについて、実際に聞き取られた意見を交えて紹介された。困りごとは【言葉】と【仕組み】に分かれ、その中でも【言葉】は「やさしい日本語」を用いることで解決できるとした。そして多文化共生に必要なのは日本人から外国人への支援だけでなく、日本人と外国人が一緒に課題に向き合うことであると締めくくり、パネルディスカッションに続いた。
今回パネラーとして登壇していた外国人3名は全員アジア人。うち2名は中国語圏。3名とも高学歴で、日本語よりは英語の方が得意だと話す。この時点で【英語がわからない外国人や、子供、高齢者向けに開発された】「やさしい日本語」を紹介する意義がなくなってしまっている。しかも在住10年と在住歴が長く、受け答えを聞いていると日本人との会話を理解しきっている印象だった。もちろん「来日したばかりの頃ははっきりした物言いをしてしまい失敗した」という体験談を語るのだが、今回の講習会で言われている「困りごと」とは違う趣旨に感じた。
最後は「日本になじむには?」という問いにお三方とも口を揃えて「先入観を持たないこと。うちではこうだから、と思わないこと。」と締めくくった。
強い違和感
私はこの講座を通じて感じたのは、とてもプロパガンダ的であったことだ。区が学のある在住歴の長い、日本人を傷つけないやり取りを身につけきった外国人を登壇させて、区は外国人の暮らしについて問題を把握し支援をしていますよ、という非常に一方通行な内容だったことに不満を覚えた。
実は私、「どうせこの講座は、日本語に困っている外国人を集めてやさしい日本語を紹介することで、区はやさしい日本語でも情報発信をしていますよ、こんな取り組みをしていますよとかやる程度なんだろうな」と思って参加はした。しかしそれを下回る内容に流石にがっかりしてしまった。
アンケート用紙も「あなたの周りに外国人はいますか?」「コミュニケーションで困ったことはありますか?」「印象に残った話はなんですか?」「次受けるとしたらどんな講座を受けたいですか?」という設問にとどまっていて、「この講座が役に立たなかったとは言わせないぞ!」というオーラが滲み出ていた。これも「一方通行感」というか、押し付け的に感じた原因の一つであろう。
本当に困っている人はどこに?
外国で暮らすということは綺麗事ではない。それは外国人として20年海外で生き、帰国後 は日本になじむ努力をしてきた私が証言する。
「海外暮らし」の響きはキラキラしているが、その実態は必ずしもそうではない。
自国での習慣を捨てて、行った先の習慣に習うことは人が想像する以上に難しい。ゴミの分別をしないで生きてきた人が突然読めもしない冊子を渡されて「ゴミを分別してください」と言われたところでそれを実行するのはとても難易度が高いのだ。
子供が関わってくるとさらに難解だ。ルールや習慣に人間関係が加わってきて、更には「プリント」という悪魔のような紙の山がやってくる。これは日本語ができるようになれば解決する。今回の講座のパネラーは全員日本語を独学で覚える余裕があったり、日本に留学したり、何らかの形で学ぶことで数年で日本語ができるようになったと話す。しかし現実問題、外国人の日本語の習熟度は必ずしもそんなに高くなく、これは彼ら/彼女らが受けてきた教育環境に依存する。海外赴任や難民のような人は突然この環境に放り込まれるわけで、大変な苦労がある。それは私が両親を見てきてよく知っている。両親が保護者から帰ってくると私は必ず「何の話したの?」と聞いていた。ちゃんと理解しているか心配だったからだ。
いじめについても少し触れられていたが「肌の色の違いで子どもがいじめられた」としか紹介されておらず、いじめの根本的な問題については何もなかった。(時間がないから当然とは思う。)
肌の色が「理由」でいじめられるのと、肌の色が違うのを「いいことに」いじめられるのには大きな違いがある。私は、どこの国でも、外国人いじめというのは後者であることが圧倒的に多いと感じる。まず「自分たちの社会に馴染んでいない」という状況があって、そこから「あいつはどんなもんか試してやろう」となることが多いのだ。その時に見た目、例えば肌の色が違えばそれをあげつらってからかう。このケースだとすれば必要なのは圧倒的な自衛力だ。私のいじめ体験についての投稿があるので御一読いただけると嬉しい。
というわけで、本来ならこのセミナーで登壇しなければいけないのは現状困っている人では?と思った次第である。
今回の3名には申し訳ないが「日本に来て嫌だったことは?」と質問されて「ないですよ」とニコニコしているあたり、「ここで親しくもない日本人相手に本音を言ったら反感を買う」ということを知っているのが察せられてしまうのだ。
「外国人」という一括り
私たちは「外国人」と聞いた時、どのような人物像をイメージするだろう。
自国で多大な借金を背負ってまで日本に働きに来ている技能実習生?
技能実習ではないが純粋に家族を裕福にしたくて日本で働いている青年?
国費で留学に来た優秀な大学生?
もともと地元では裕福で日本が好きで住み着いた人?
「外国人」と一口に言っても「人」である限り、貧富も、年齢も、学歴も、ライフステージも全員違う。日本に来た動機だってみんな同じではない。それを一括りにして「困っている人を助けてあげよう!」と言っても必要な助けの観点が違いすぎて、この講座を受けた側にも結局のところ「どのような助けが必要か」が伝わらないのではないだろうか。
日本に、あるいは外国で暮らすに当たって必要な心構えは、パネラー3名と意見は同じで「先入観を持たないこと」に尽きると思うのだが、これはある程度視野が広くないとこの考え方をするのは難しいし、この情報の発信先は日本人ではなく、本来は他の外国人であるべきだ。
上記の「肌の色の違いで子どもがいじめられた」と語った人は「肌の色がいじめの根本的な原因となる」と考えている人なわけだが、それが必ずしもそうかというと、既に述べたとおり、そうではないと思うのだ。しかし私のように考えられるかどうかは一度いじめを乗り越えた経験があるかどうかにかかっている。そう言った人に必要なのはとにかく時間と余裕と自衛力だ。「肌の色で違う扱いを受けるのは嫌だ」と明確に発信する力と、「肌の色が違う自分を認める」時間と余裕がない限りこの問題を根本的に乗り越えるのは難しい。
もちろん、「やさしい日本語」で「言語」へのハードルを下げて、仕組み・制度に関しては行政が"外国人フレンドリー"な方向へ改革することで解決できる問題は少なからずあると思う。
しかし外国人として暮らす以上、それだけではフォローできない根深い問題があるのだということを頭の片隅に置いておいていただけると幸いだ。
そして身近で困っていそうな外国人を見かけたら接触的に声をかけてあげてほしい。あなたが「日本に来てよかった」と彼ら、彼女らに思ってもらえるきっかけになるかもしれない。
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