尾崎の豊を猛烈に想うpart1

星ひとみ占いで
私は深夜タイプ。
尾崎豊も深夜タイプ。

ここから既に始まってる。

数日前たまたま尾崎豊のI LOVE YOUをYouTubeでみた。
もちろん何回も聞いたことあるし、
好きな歌であった。

でも平成世代の私には尾崎豊の存在が
あまりに幻で、陽炎すぎて、
リアリティが無いのである。

その反面、
わかるのである。
理解できるのである。

同じ時代を生きていたら、
同じ世界で生きていたら、
私の隣にいたら、
共に塵ゆく運命だったかも、と。

26歳でこの世から別のフェーズに向かった彼は、
早熟とあらわせばいいのか?

彼の歌や言葉は、
答え探しの歌を歌ってるように思えるけど、
彼はすでに答えを悟ってしまい、
絶望したんだとおもう。

答え探しの旅を続けても、
さみしい答えが見えている。
正解が知りたいけど、
そんなもの存在しないことも知っている。
でも正解がわかったら誰も苦しまないじゃないか、
だったら探し続ける。
といった気持ちが歌から、存在から感じる。

僕が僕であるために」の歌詞に

こんなに君を好きだけど
明日さえ教えてやれないから

という歌詞がある。
愛しか感じない。
愛するあなたに、手の届かないところに手を差し伸べてあげたい気持ち。
魚の骨を全部取って渡してくれる。
みかんの皮を剥いて渡してくれる。
こういう些細な優しさって愛だと思うが、

愛する者へ、
先回りして明日へ問題はないか、安全か、幸せなのか、教えてあげられることは何もない。
明日は誰にも分からないから、もちろん教えてあげることも、
自分が知ることも、この世の全てのものにとって不可能である。

彼はもう正解や答えなどない事を十分に理解しているからこそ
悲しいのだろう。その現実が。

こんなに愛なのに、
愛なのに、
愛では変えられない現実に怯えている。

明日さえも教えてほしいのは尾崎豊本人の気持ちなのだろうか。

だから本人が先導を切って、
叫んでくれたのだと思う。

自分のために、私のために、あなたのために。

私が私であるために勝ち続けなきゃならない、私に。

私は勝つとか、そういう言葉が好きではない。
一般的に勝つとは何と比べた時に使う言葉だから。
自分自身に勝つ必要もないと思っている。
戦いはいつも厳しいものだから。

彼の言う勝つはそういうの勝つじゃないのも解っている。
じゃあ何をもって負けなのか?
勝つと負けるを並べた自分も嫌である。

ただ尾崎豊自身の色が、極端性と爆発性があるので
勝ち続けるという表現を彼の口から発される現実にすごく納得する。

要するに彼にしか歌えない。

私だったら

僕が僕であるために守り続けなきゃならない

と歌っただろう。
恥ずかしい、この保守的な生き様。
でもお気に入りの人生。

私は、世の中白黒つかないからつけない。
そうやって生きてきた。

でも心の奥底には、白黒つけて
愛が全てだ。と強く信じれる世界でありたい。
と思っている。

彼の弱さを隠しきれない姿に
本当の強さを感じる。

私は弱さを見せられない臆病者だから、
感情の奥底からマグマのように溢れ出す言葉や表現たちに蓋をする。
この弱さと共に生きるには、才能もないし、世の中が怖すぎるから。

でも彼は、全部大爆発。
本意ではないだろう、
男としてのプライドも高そうだし、
完璧にやってのけたいだろうが、
彼は全て弱みさえも曝け出しながら、
世の中に歌で魂を届けた。

ありがとう。

私が唯一尾崎豊になれるのは、
今ここ、この文章で。

この冷たい街の風に
歌い続けている

今日は氷点下近い韓国。
本当に冷たい街の風と共に
私が私であるために、



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