【えい太郎!旧中山道をゆく!!】その④いよいよ群馬県へ突入!倉賀野〜安中へ
倉賀野は中山道と日光例幣使街道の分岐点であり、その追分には道標があった。『従是―右 江戸道、左 日光道』と石柱には書かれている。
江戸道は、中山道江戸方面である。
つまり、ここから長野方面へ向かう人と栃木方面へ向かう人が分かれる場所だ。今回は私は長野へ向かっていく。
また、そこにあった立派な常夜灯の基台には多くの寄進者の名が連なっていた。
この地は文献によると河岸場があって、年貢米や信州・上州産の煙草や屋根板、砥石などが舟で江戸に運ばれ、帰りは行徳の塩や干鰯を積んで戻ったという。利根川に繋がる烏川の最上流の河岸場だったこともあり交通の要衝として大変栄えた場だとのこと。
道行く小学生にすれ違った――とても元気に『こんにちは!!』と揃って挨拶をしてくれたことが印象的だった。
「地域で挨拶することの大切さを教えているんだなぁ」と思いながら歩を進めた。
碓氷川に沿って歩く……地熱が凄い、モワモワと暑さが上がってくる。川風がそれを助けてくれる。
田を流れる畔の小川の水音が耳に涼しく心地良い。
板鼻を過ぎ安中へ入った。
リュックを担いでテクテクと田舎道を歩いてたら、道祖神のあたりで
小さなおばあちゃんが追いかけて来て声をかけられた。
昔、学校で教えてくれた言伝えを聞かせてくれた。
『このあたりでは夜な夜な、山賊が現れて悪さをしていた。そして、唐丸(にわとり)が鳴くと引き上げて行った。ある日、唐丸が二度鳴いたが、何処にもいない……近くを探すと丸い石が二つあった……これは神の思し召しと、それからは悪行をやめたとのこと』
地元、伊勢三郎の話であり、改心してからは家来50人と共に源義経に従えたという。
おばあちゃんの家はすぐそことのことだった。伺うと御年83歳、「ありがとうございました、お元気で……」と言い別れた。
今日は倉賀野から安中へ4時間17kmの道のりで、途中の暑さに少しへこたれそうになったが、なんとか乗り越えた。
安中市内の大型スーパーで夕飯などを仕入れて、今晩はこの地に宿泊する。いよいよ明日以降は横川〜碓氷峠の難所へ挑む!!ところで『安政の遠足』ってなんだ??
【参考文献】中山道を歩く旅 山と渓谷社 2008年