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【えい太郎!旧中山道をゆく!!】その③深谷・本庄

深谷宿に降り立った。
まず常夜灯が迎えてくれる。熊谷宿は飯盛女を置かなかったため、深谷には多くの女が集まり大変に賑わったそうだ。いつの時代にも女性の多いところには人が集まるものだ。
今は本陣跡の碑や脇本陣跡が往年を偲ばせる。深谷といえば『渋沢栄一』の出生地だが大きな銅像が北口駅前に鎮座していた。恥ずかしながらこの時には名前くらいしか知らずにあまり注目もしなかったが、いよいよ今夏より壱万円紙幣でお目見えする。後日、大河ドラマを見てその偉業の数々に大変驚愕した(汗)。
町内には洒落たレンガ造りの建物が散見され、明治期にでもタイムリープしたような感じを味わえる街並みだ。

さて本庄まで来た。
本庄宿は大規模な宿場町であったとのこと――天保14年には旅籠70軒、飯盛女も100人以上いた。交通の要衝で商人の町としても賑い、古い建物も数多く残る。
町を歩くと目を引くのは旧本庄商業銀行のレンガ造りの倉庫で、現在はローヤル洋菓子店となっている建物だ(訪問当時)。深谷同様に古い建物を見てまわるとノスタルジックな気分に浸れる町だ。

ここまで5時間、22kmの道のりだが、寄り道などしている間に更にあっという間に時間が過ぎてゆく……この周辺はとても魅力的な建物群があり、随分とたくさんシャッターを切った覚えがあるのだが、当時はフィルム式の一眼レフカメラを使用していたこともあり、このnoteに掲載出来ないことがとても残念だ。私の脳裏にはネガの如く記憶された映像が沢山浮かんでいるのだが……。
【参考文献】中山道を歩く旅 山と渓谷社 2008年

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