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【エッセイ集】⑨京都・河原町通

 ここは鴨川と寺町通に挟まれた南北にのびた道、北は鴨川デルタの近く葵橋を渡る。今いる所は川の合流手前なのでまだ「賀茂川」だ。その少し先には出町橋がかかっている。通り沿いすぐのところには、いつも行列が並んでいる「出町ふたば」がある。ここの豆大福は言わずとも知れた絶品であるが、市内には更に甘味の絶品は数多くあるのであげれば切りがない。商店街の入口に近いこの場所は、活気のある雑踏と様々な食品の匂いが入り交じるが、それを鴨川からの川風が爽やかに入れ替えてくれる。
 高野川と合流し、はれて「鴨川」となったところにかかる賀茂大橋からは「出町の飛び石」が見える。鴨川デルタの先端を結んで高野川から賀茂川へと飛び石で渡れる。石の形は亀や舟や千鳥などを模していて、上から眺めるとその形がよくわかる。天気のよい日は子供や家族連れなどで賑わい、笑い声が聞こえてくる。京都らしい景色のひとつで見ていて心が弾む。出町橋の西詰は、かつての若狭街道の起点となる鯖街道入口にあたる。このあたりまでは鴨川を十分に感じられるが、その先へと進むと都会が少しずつ押し寄せてきて、ビルの壁が川風を押し留め、ゆるく濁った空気へと止めおいてしまうのだ。さらに進むと右手に御土居・蘆山寺がある。御土居は豊臣秀吉が京都の都市改造の一環として外的防護と鴨川氾濫から市街を守る堤防として天正十九年に築いた土塁であり、河原町通はこのかつての御土居の東の外をほぼ沿うように走っている。土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び要所には七口を設けて洛外との出入口とした。鞍馬口や丹波口などの地名はその名残だ。二条通から南は、かつて「角倉通」と呼ばれ、高野川開削事業をおこなった豪商・角倉氏の屋敷があったことからこう呼ばれた。現在の日銀京都支店のある場所だ。
 さて河原町二条にはワタナベ楽器店がある。ここはレア物のギターが並ぶ名店であり、私もここでかつてテレキャスター・シンラインを購入した。通りを挟んでスタジオもあり、よくギター練習をした。格安の料金で使わせて頂きいつも恐縮しながら辞した。
 左手に少し折れると「リッツ・カールトン京都」がある。ここのラウンジは独立したテラス席があり、鴨川からの風を感じながらのティータイムがすばらしくいい。夕暮れ時が特にいい――鳥の音と時が止まったような静けさが訪れる。そしてサービスがとてもよい。あるとき訪れた際、私はジーンズにスニーカーというラフな出で立ちで好きな白のコンバース・ジャックパーセルを履いていた。いつも紅茶を頼むことにしている。ここの紅茶はドイツ「Ronnefeldt」のセレクトだ。全てが白の食器で統一されていてスマートに光り輝いている――ポットサービスで菓子も添えられる。飲み始めた頃にホテリエが雑誌を持ってきてくれた。有名な雑誌penであり、表紙を見ると「スニーカー」が載っていてスニーカー特集だと直ぐにわかった。私がスニーカーを好きそうだとよく観察した上でもってきたに違いないと思った――「なかなかやるなあ……」と思いながら紅茶をすする。英国とも中国とも感じられるオリエンタルな香りに包まれた時を過ごす。

 三条から四条中心街へ……「河原町通は夜がよく似合う」……夜の河原町通はしっとりと大人なムードへと変わっていく。酒の匂いに誘われて木屋町や寺町へと足が傾く。四条の交差点まで来た。そこで森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」の一説を思い出す――『四条木屋町、阪急河原町駅の地上出入口のわきでは、ギターを弾く若者とそれを聞き惚れる人々……』そして河原町の夜は毎晩、ギターの音が聞こえなくなると夜闇に更けていく……。 

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