脳みそゆらゆらゆら
父さんの脳みそはゆらゆらしてると僕は思う。それで僕らもしょっちゅう脳みそをゆらゆらさせられてしまう。
台風がやってきて僕らの屋根のてっぺんが飛ばされてしまった。で、となりの雨樋をこわしてしまった。隣のおばあさんは八十才くらいで一人で住んでいる。母さんが誤りに行って弁償がどうのこうのとやりとりしている最中だ。父さんもでかけて行って話に加わった。でもうちのおばあちゃんは、 「何も二人で行くことはないね、私なら一人ですむことだ」とぶつぶつ。
なんでおばあちゃんは怒っているのだろう?僕はちょっと変に思った。高校生の兄ちゃんはニヤニヤしながら、
「オ、親父もやるな。色仕掛けか・・・安くしてもらってこいよ」、だって。姉ちゃんがそれをすかさず父さんに告げ口。
父さんは、「何!?」と、かんかん。
家の中の嵐がまた始まった。父さんが2階に来ると、
「あ、父さん、僕らは階下に用があるから」とかなんとか言って、するりとみなで下に移動。
で、父さんがまた追っかけて来る。姉ちゃんはトイレにサッ。おばあちゃんは台所でしらんぷりで、窓の外を見ながら孫の手で背中をかいている。猫は脱衣籠のかげに。僕らだけが巻き込まれて残って・・・、そして兄ちゃんもいつの間にかいなくなって、僕だけとり残されていた。
今、兄ちゃんは高校生だけど、兄ちゃんがもっと小さかったころ、何かに付けて父さんに怒られていたそうな。僕はまだうんと小さかったのでそうは怒られなかった。ホッ。とくに食事のときに事件が起きた。その朝も、
「味噌汁なんかこぼすんじゃない!」と、箸でぴしぱし!
兄ちゃんはビビって、
「はっ、はい!」
兄ちゃんの座っている場所がわるい。父さんの隣だからやられやすい。でも、兄ちゃんもやるもんだ。
登校途中、
「ピンポーン、ピンポーン」
ピンポンダッシュだ。後で苦情がくる。
兄ちゃんは小学校に上がる前に少し大き目の自転車を買ってもらった。
「ワアツ!すごい!」
兄ちゃんは大喜び。早速日曜日から父さんの特訓が始まった。でも、でもやっぱり夕方には心配したことが起きた。新しい自転車はペシャンコで見るも無惨!母さんはびっくり仰天!兄ちゃんに怪我がないことを確かめると少し安心。
「坂道で電柱にぶつかったんだよ。激突だ」
と、父さん。
「ブレーキをかけないのかね。いったい父さんは何を教えていたのかね」
おばあちゃんは下を向いて低い声で小言を言った。たぶん父さんには聞こえていない。兄ちゃんの顔は真っ青だった。その夜、兄ちゃんは高熱を出してうなされた。
「フック船長、ちょ、ちょっとお待ち下さい。ワッ、ワニがまたやってきました」
「何を言ってるの、しっかりしなさい!」
母さんは動転して舌を噛みそうになって、自分自身を指さしながら
「この人誰かわかる?」
「うん、わかるよ。母さんだよ」
兄ちゃんは気が変になっているのではないらしい。でも母さんはまだ安心できなくて2、3回兄ちゃんの背中をたたいて意識をはっきりさせようとした。
「もう大丈夫。練習は終わったからね。ゆっくり眠りなさい。朝になって
も熱が下がらなかったらお医者に行こうね」
うんと冷たくしたタオルで頭を冷やしてもらって少し落ち着いた様子だった。兄ちゃんはあんなに新しい自転車を楽しみにしていたのにとんだ事になってしまったものだ。
姉ちゃんは自転車を買ってもらう前に、友達の自転車を借りてさんざん練習していた。あたらしい自転車が来たときにはゆうゆう乗り回してニッコニッコ。僕は新しい自転車は買ってもらえなかった。兄ちゃんのお下がりで我慢することになった。それで父さんの特訓もなし。ホッ。でも安心はできない。どんなことが起こるかわからない。
父さんはきれいな景色を見るのが好きだ。よく家族揃って車で出かけた。父さんはウキウキしながら外の景色をたのしんでいる。その日は兄ちゃんも姉ちゃんも部活かなんかで一緒ではなかった。僕は昼食に焼きそばを買ってもらった。食べている最中にとつぜん父さんにこずかれた。助手席から後ろに振り向きざまに僕をポカリ。
「お前一人で全部食べていいと思っているのか」
僕はびっくり。けっこう痛かったけど、涙は出なかった。そして思った。みんなそれぞれに何かしら食べているじゃないか。きっと父さんが焼きそばを食べたかったんだな。
「す、少ししか残っていないけど、はい、父さんの分、これ」
この頃、上の二人がいないと、父さんはひどく子供じみて僕とおんなじになってしまう。困っちゃうよ。ほんとに安心できない。そんなときでもおばあちゃんや母さんは何も言わない。口をはさむと父さんがよけい怒るからだ。自分でなんとかしなくちゃ。自分で。えーと、えーと。
おかげで僕はよその怖そうなお父さんとも平気で話せるようになった。そしてわかってきたことがある。よそのお父さんも時々脳みそがゆらゆらしてるって。家の父さんほどではないが・・・。
この前、父の日に皆で食事をしてた時、父さんが突然言った。
「お前ら、俺と腕相撲する約束を忘れたのか。早くやってくれよな。まさかおれの死ぬ間際にやってきて俺に勝とうと思っているんじゃないだろうな!」
誰も腕相撲の約束なんかしていない!ハ、ハ。やっぱり父さんの脳みそはゆらゆらしてる。でも、僕はもう脳みそをゆらゆらなんてしやしない。
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