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ヤギとおばあちゃん

 車道まで4、5段の石段をヤギは足を突張ってどうしても降りようとしなかった。道路では小型トラックが待っていた。ヤギは何回子供を生んだかな。そのたびに家族は山羊乳を利用してきた。おばあちゃんが柿の木の下で山羊乳を絞る。やぎは嫌がりもしないでじっとしている。残りを仔ヤギがもらう。本当は乳は仔ヤギの物なのに。

 で、もう乳がとれなくなるとすぐにと殺行き。そんなひどいことがあるのだろうか。でも、村では普通のことなのだ。業者が車でやってきて連れていってしまう。でも不思議なこともあるものだ。ヤギはどうしてそのことがわかっているのだろうか。まったく不思議だ。

 「ぼん、後ろから押して!」業者がぼくに言った。いやだ。ぼくは心の中で言った。人の家のヤギだからそんなこと、こともなげに言えるのだ。また父は新しい母さんと町に住んでいて時々に帰ってくる。その日は帰ってきていたが、父もたいして可愛そうと思わないのだろう。新しい母は、「あんなに嫌がっているのだからまたにすれば。」と。業者は業者で「皆、その気がないなら今日はやめとこう。」突っけどんに言って帰ってしまった。おばあちゃんは目をしばしばさせながら、ヤギの背中をなんども、なんどもなでていた。

 それからヤギは毎日緑野で所在なげに草を食べていた。朝、能願が適当によさそう所に繋いで、夕方小屋に連れ帰る、の繰り返し。それでまあちよっとした草刈りの手伝いにもなる。とくに変わったこともない田舎の暮らしが過ぎていった。夕方少し遅くなると疲れるのかヤギは座っていた。夕暮れでも白いからよく見える。能願が近づくと「メーー」とないてゆるゆると立ち上がる。

 夏の始めにコトは起こった。いつものようにおばあちゃんが草刈りに出かける。その日はヤギもお供。トコトコと後ろについていく。ひもなどつけていない。おばちゃんもとぎ(連れ)がいたほうが寂しなくなくていいみたい。ついでに鶏も2、3羽ついて行く。鶏の場合は理由があって、草を刈ると虫がびっくりしてそこらじゅうから飛び出してくるからだ。沢山餌にありつける。それで、きっといつものように刈ってる時に、鎌が石か何かに当たってしまったのだろう。鎌は手に飛んできた。あたりに人はいないし、大声を出してもむだ、誰にも聞こえない。さぞかし動転したことだろう。おばあちゃんは首にかけてる手拭いで血を拭うと、その手拭いをヤギの首輪にかけてお尻をたたいて、「能願のところにいけ!」と、たぶん。

 ヤギはお尻をたたかれてびっくり、家のほうに帰ってきた。能願はふすまとひよこ草を混ぜて鶏の餌を作っていたが、一人で帰って来たヤギにびっくり。それに血のついた手拭いを首からぶらさげてる。「さてはおばあちゃん怪我したな。」すぐに坂道を登って、たぶんみかん畑のほうだろうと見当ををつけた。やっぱりおばあちゃんは畑の脇にうずくまっていた。

 「おばあちゃん、どうした?」何も言わずに気を失いかけてるおばあちゃんをそばにおいてあったむしろにくるんで山道をおりた。なんども滑りそうになって、やっと納屋の前までたどり着いた。納屋からリヤカー引き出して、夢中で階段のないうら道に出て、リヤカーを引きながら考えた。村の診療所は遠いし、どうしよう。ひとまず駐在所に行こう。誰かいてくれるといいな。普通の家にはまだ電話も有線もなかった頃。痩せてるおばあちゃんなのに重い。道が悪くてゴトゴトする。手に響くだろう。さっき見たとき指から白い物が見えていた。骨だろうか、大変なことになってしまった。走りながら泣きたかった。

 やっとの思いで駐在所につくとガラス戸が開いている。飛び込むと、「あーー、良かった、修兄さんがいた。」駐在さんはたいがい居ない。修兄さんはちょっと見こわいのだ。髪は長いし、いなせだし。「うーん、どうした?」おばあちゃんはもうすっかり失神していて、何も言えない。作業衣の袖が真っ赤だ。「鎌で切ったみたい。」「診療所まで俺が連れて行くから心配すんな。」修兄さんははそこらの座布団をかき集めるとリヤカーに敷いて痛くないようにした。「能願は疲れてるみたいだからここで待ってな。」と言うが早いか行ってしまった。なんか力が抜けて、待っているうちに疲れが出て、ウトウトしてしまった。

 目がさめると当たりは少し薄暗くなっていた。まだ修兄さんやおばあちゃんは帰って来てなかった。駐在所のおばさんが奥から出てきて「あー、目が冷めたかね。おばあちゃんは大丈夫やと。でも、今夜は診療所に泊まると。あんたどうするね、ひとりになるね。ここで泊まる?」「いや、帰る。ヤギがいるし、それに鶏小屋の 戸を閉めないと夜にイタチがやってくるから。」「そうかね、じゃあ、この蒸しパンをもって行き。」おばさんはまだ温かい蒸しパンをいっぱいくれた。帰りながらやわらかい蒸しパンをたべた。少しホッとした。帰るとヤギは自分の小屋の前に座っていた。ヤギに蒸しパンをやるとむしゃむしゃ食べた。そうかヤギも蒸しパンをたべるのか。ふうーん。

 おばあちゃんは次の次の日にリヤカーに乗せられて帰って来た。しばらく診療所に通わなくては行けないが、一ヶ月もすればだいぶよくなるって。あー、よかった、よかった。 

 またいつもの日がもどって、あいかわらずヤギは木陰に繋がれたり、おばあちゃんの草刈りについて行ったりしていた。ある夕暮れ能願がヤギを迎えに行くと、かすかに「メー、」と鳴いたが立ち上がらなかった。横たわったまま動かなかった。お腹がパンパン。あわてて近くの獣医見習いの人を呼んだ。すぐに来てくれて、「これは葛さやの食べ過ぎだ。ここらには葛さやがたくさんあるからな。」「もう年を取ってるから、元気にならないかも」と。しばらく思案したが、そうこうしてるうちに全然動かなくなっていった。なんか、あっけない。だんだんと耳とか足がつめたくなっていった。もっと違う所に繋いでおけばよかった。悔やまれたがもうしょうがない。やっぱりいなくなってしまうんだな。いつかは。

 空になったヤギ小屋の戸がパタン、パタンと風に吹かれていた。柿の木下に乳しぼりのときに使われていたちいさな杭が一本ぽつんと取り残されていて。

(戦後間もない、とある山陰の記憶を辿って書いています。登場人物は変えていますが、すべて私のふるい、昔の思い出です。)

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