ちょっと奇妙な過去日記#25─②禅問答
私は苦しみたいの? いいや、そんな筈はない。けれど、私は病名がPTSDと言われて喜びを感じなかったか。統合失調症という、狂人みたいな重い病名より、PTSDの方が、被害者らしいし、「軽い」とも感じていた。PTSDと言われても、その症状がない自分にどこか後ろめたさも感じていた。今の自分の症状は、まさしくPTSDの症状。まさかここまで壮絶な病気だったとは……。
そのように考えると、まさにこの現実はすべて自分の望み通りだった。酒鬼薔薇の事件から、犯罪者の更生を見たいと願い続けていた。働くのが辛過ぎて、休みたくて仕方なかった私は、病気であることで、働くことを容赦された……。
「一度、落ち込まないと、その後、よろこびを感じることはできないんじゃよ。これは力の原則じゃ。この世界はすべて相対性の世界だから、「なにか」と「なにか」を比べることではじめて、すべての位置が確定するんじゃよ。ジャンプするために、まず人はかがまなければいけないじゃろ?
「自分は不幸である」と思わないかぎり、「自分は幸せである」と実感できないんじゃよ。そう……。言うなれば、これまでの人生とは「仕込み」の次期だったんじゃ‼ さあ、のれんを表に出しなさい。新装開店じゃ‼」
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私は、発作よりも強く、胸が高鳴るのを感じた。
眼球上転は少しだけ収まりを見せていた。母に折り紙を買ってもらい、大きなくす玉を何個も作った。作り方が複雑で、一つを作るのに五日くらい掛かる。その分、くす玉は花を咲かせたように可愛かった。けれどすぐに動悸がしてきて、またベッドに横になる。
生活は、母の介護なしには過ごせなかった。母がいなくなったら、私は閉鎖病棟か施設の奥で過ごすのかな。折り紙を折ることだけが生きがいの人生。これは何かの罰なのかな。前世でよほど悪いことをしたとか。前世では、私は男性で、女性を何人もレイプしたのかもしれない。それを今世で償っているのだろうか。
眼球上転は辛いものの、目が失明することはなさそうだ。N先生はこれ以上に酷いストレスで視力を失ったのだろうか。そして、そのストレスは私が与えたものなのだろうか。因果応報に、悪も善もないのかもしれない。与えたものは、自分自身が経験していく。そのように、世界は回っていくのだろうか。けれど、出来れば、ほんの少しだけ、幸せになりたかったな……。
私は朗読アプリで「神さまとのおしゃべり」を掛けると、布団に横になった。
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「お前は、鏡を見たことがあるか?」
「あるに決まってるでしょ。今もバックミラーを見ながら車線変更したところじゃん」
「よしわかった。お前は地獄行にしよう。ワシに嘘をついたのだからな」
「ふざけんな! なんでお前が記憶障害になったばかりに、オレが地獄に行かなきゃならんのじゃい」
「だってお前は鏡をみたことがある」という嘘をついた。お目が見ているのは鏡ではない。「鏡に映っているもの」を見ておるだけじゃ。鏡という物質そのものを見たことは絶対にない筈じゃから
「……ちくしょう。この問題、息子のとんちクイズに出したいくらい、秀逸ですね。
「鏡は常になにかを映しておる。毎朝、七十億人が鏡を見ているが、彼らは鏡を見ておるんじゃない。「そこに映っているもの」、すなわち「自分自身」を見ているだけじゃ。自分が、自分を見ておるんじゃぞ。これが、どういうことか分かるか?
「人類がみんなナルシスとってこと?」
「いいか、ちょっと目を閉じて、ひろーい真っ暗な宇宙空間をイメージしてごらん。そしてその空間には、お前と鏡だけがぽつんと置いてある。それ以外は、完全になにもない空間じゃ。ところが、「鏡そのものは見えない」とさっきお前は気づいた。
物質が見えないということは、そこには実はなにもないんじゃよ。「映っている者」と「映している者」の間に、「鏡」という境界線なんてないんじゃぞ?お前がいて、鏡があって、その向こうに映ったお前がいるんじゃない。間の「鏡そのもの」なんてないんじゃから。その宇宙空間には、お前だけがただ拡がっていることになる。お前が、お前を直接見ておるんじゃよ。
「マジだ! 仕切りの鏡がないんだから、俺、めっちゃ一人ぼっちじゃん! こちら側にも、あちら側にも、ずーっと俺がつづいているだけ……。イッツみつろうワールド!」
「それが、この宇宙という現実なんじゃ。宇宙空間にあるものは、実はあなただけ、なんじゃよ。いつでも、あなたがあなたを見ておる。現実にあるものは全てが、あなたなんじゃよ。ということは、もし、うんこが「現実」にあるのなら、それはお前じゃ。スーパーに変質者が現れたなら、それもお前じゃよ。
「例えがめちゃくちゃむかつくものの、理論上、そうなりますね。うんこも変質者も俺。てか、見えるもの全てが俺。見えるものどころか、宇宙そのものが、俺自身じゃねーか」
「虹も、花も、鳥も、森も、全てお前じゃ」
「すべてが俺なら、俺が俺を嫌い、俺が俺と口論し、そして俺が傷つく。……。一人でいったいなにしてんだ、俺は?」
「遊んでいるんじゃよ。全てがお前なのじゃから。どこにも危険なんてない完全に安全なる世界で」
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宇宙そのものが、私?
N先生も、ヤクザの加害者も、私?
お父さんも、お母さんも、チャチャも、この家も空も地球も、存在するすべてが私自身……。この世界を丸ごと受け入れたら、どうなるの。なんだかすべてが愛しく思えてくる。犯罪も、加害者も、傷つける人も、優しい人も、すべて「私」が映っているだけ。
その世界の中で、私は「私」という視点を定めてゲームをしている。まるで波を楽しむサーファーのように。でも、苦しむのはごめんだ。こんなゲームに設定した記憶なんてないよ。私は首を捻って唸った。
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「僕はもう、天使に生まれ変わったんだ。悪いことなんて、今後一切、僕の脳裏にはよぎらない。全てが私。アーメン。それにしても、前の車めっちゃのろまだな。あおってやる。(ブッブー。)」
「さっそく他人を責めとるじゃないか! お前よく自分の会社のマークが入った車でそんなことができるな。アホとしか思えん。いいかみつろう。「現実」とはお前を映し出す鏡じゃったよな? 確実にクレームの電話がお前に跳ね返ってくるぞ。「現実」が鏡なら、鏡に対して行ったことは全部本人に跳ね返ってくるに決まってるじゃないか。
「ほお……。ちょっとビビり始めたので、どういうことか教えて。とりあえず、前の車にもうクラクションは鳴らしませんから。」
「簡単な原理じゃないか。鏡はお前を映しておる。お前がやったことを、跳ね返し続けているということじゃ。優しくすれば優しさが還ってくるじゃろう。鏡という「現実」がお前の信じた「優しさ」を映し返すのじゃからな。なあ。みつろう。もしも、短パンを穿いたOLが鏡を見ながら「私はスカートを履いた筈よ!」 と言っていたらどうする?
「そっと、病院を紹介します」
「お前たち人間は、いつもこれをやっておる。「短パンが映った鏡を見て、私はスカートを履いた筈よ!」と叫んでおる。今後、「現実」にイラ立つたびに、「短パンOL」を思い出しなさい。ふと笑えるから、ハッと気づけるじゃろう。「そうか、私が信じたから、この現実が映っているのか」と。では次に、鏡の中に手を入れて、鏡の中の自分の髪型を先に変えようとしている人がいたら。どうする?
「さっきより、重めの病院を紹介します」
「だよな。でもこれもお前たちが普段「現実」を見て、やっていることじゃ。鏡に映る、自分の髪型を先に変えようとしている。そんなの無理じゃよ。
「鏡の中に手を入れようとして、確実に鏡の表面で突き指しますね。」
「当然じゃ。わしでもできんよ。鏡の中の髪型を先に変えるなんて。じゃあ鏡という「現実」に映っているできごとが、気にくわない場合は、どうすればいいんじゃろうか?
「鏡に映っている髪型を変えたければ、映っているこちら側の髪型を先に変えればいい。……そうか。「現実」を先に変えることは、できないのか! それを見ているこちら側が先に変わらないといけないんだから!」
「そうじゃ! よく分かったな。現実を先に変えるのは、不可能なんじゃよ。現実を変えたいなら、「投影元」であるあなたの考えを先に変えるしかない。
「先に僕の考えを変える……、ということは「解釈」を変えればいいのか!
「そうじゃ! できごとを先に変えるなんて、不可能じゃ。できごとが起こった時に「どう思うか」を先に変えるしか方法はない。のろまな車が「現実」に映った。お前はクラクションを鳴らすことで、のろまな車を変えようとした。違う、違う! 無理無理無理! 鏡は先に変わらん。のろまな車に対して、お前が「どう思うか」を先に変えるんじゃよ。
なにを思うのかが変われば、投影元である、お前の固定観念が変わるのじゃから、映し出すだけの「現実」は確実に変わるじゃろうよ。いいか。これは格言だから覚えておきなさい。「鏡は先に笑わない。こちら側が先に笑うんじゃ。解釈を変えるんじゃよ。
そうすれば、その後、鏡にも笑顔が映るじゃろう! 人間よ、あなたの「現実」を見て、「現実」よりも先に笑いなさい。鏡は先には、笑わないのだから。いいかみつろう。前を走る車のことを、どう思いたい?
「のろまなのろまな車さん。どうぞゆっくり進んでください。僕が車線を変えればいいだけですから。バッイバーイ!」
出典:神さまとのおしゃべり さとうみつろう