ちょっと奇妙な過去日記#25─PTSDの猛威


手紙を投函すると、心から開放感に包まれた気持ちになった。秋晴れの青空が目に眩しい。記憶が現実となった今、私はただただ、明るい未来だけを見据えて生きていけばいい。病気はきっと良くなるだろう。薬だってやめられる。新しい人生は、いったいどのような輝きに満ちているのだろうか。私はベランダでタバコを吸いながら、暖かい秋の陽射しにゆったりと目蓋を閉じて感慨に浸った。

日中は本を読んだり、作業所に行ったりと、変わらない日常を続けながら、ヒロ君と電話で話したりして過ごした。しかし「すべてが良くなる」という期待感とは裏腹に、夜はやはり睡眠薬がないと眠れなかった。

「一錠だけ」と減らしてみても、やはり夜中にベッドを這い出て薬を流し込んでは落ち込んだ。ヒロ君は相変わらず中国から帰って来る気配がなく、このまま中途半端な関係を続けるよりは、新しい出会いを見つけたいとマッチングアプリを再開した 。

眠れない日々が続き、作業所に行くのが憂鬱になってきて、重苦しい気持ちで始まる一日。現実は何も変わらない。何も新しくならない。せっかく記憶が解明されたのに、私は今までの人生を、今後も繰り返していくの?

心の底から焦った。何がいけないのだろう。どうすれば人生が動いていくのだろう。私は百均でルーズリーフとファイルを調達すると、自己内省するために長い日記をつけ始めた。気持ちの踏ん切りをつけるために、ヒロ君と連絡を絶つことを決めた。

私の良くない所は何? 仕事が出来ないこと。いつも誰かと……彼氏がいないと不安になること。いつも親に甘えていること。中途半端なこと。責任感がないこと……。思いつくまま、改善すべきことと、その原因探しを始めた。精神分析のつもりだった。これもだめ。あれもだめ。こんな所もだめ……。

自分の不甲斐なさを書き出していくことは、とても落ち着く行為だった。悪い部分を見つけていけばいく程、未来が拓ける気がした。大丈夫。きっと上手くいく。自分の欠点と向き合っていけば、必ず道が拓ける。私はもう昔の自分とは違うのだから……。

ある日、図書館で何気なく書架を眺めていると、ニール・ドナルド・ウォルシュの「神と対話」の新刊を発見した。「神との対話」は、筆者が自動書記で神との手紙の交換を連ねていく不思議な本で、昔読んで感動した本だった。自動書記とはどういうことだろう。

そういう体で、筆者が演じているということ? それならばなぜだろう。儲けたいからに違いない。しかし、読めば読む程にその本の内容が素晴らしく、感動に身体が震えてしまう程だった。あまりに良かったので、手持ちの本を人にあげたのだった。

私は久しぶりに一巻から読み返したくなり、古本で昔のシリーズを揃えると、再読し始めた。読み進める途中で手が止まった。「悪」についての章だった。

……「大きな意味では、「悪い」ことはすべて、あなたがたの選択の結果として起こっている。間違いは、それを選んだことではなくて、それを悪と呼ぶことである。それを悪と呼べば、自分を悪と呼ぶことになる。創造したのはあなただから。あなた方は集団として、また個人として、魂の発達という目的に向かって、自分たちの人生と時を創造している」

「言葉は真実の伝達手段として一番あてにならない。皮肉なことに、あなたがたは神の言葉ばかりを重視し、経験をないがしろにしている。私からの一番力強いメッセージは、経験だ。経験に耳を傾けないから、あなたがたは何度も同じ経験を繰り返さなければならない。だが、私は強制しない。私は自由と意思と選択する力を、あなたがたに与えた。それを奪うことは決してない。」

悪。あく。アク。わるいこと……。犯罪。レイプ。N先生。
それを、悪と呼ぶことが、自分を悪と呼ぶことになる?
私の頭は疑問符でいっぱいになった。
私が、悪を創造した? 
悪を、犯罪を経験するために?
それを経験して得たかったものは何?
私は……。

犯罪が、起こる理由を知りたかった。同い年の酒鬼薔薇が子ども達を殺めてから、ずっと、その理由が知りたかった。そして、そんな悲しいことが起こらない世の中を望んだ。けれど、心の奥でずっと引っかかっていた。私は傍観者だ。酒鬼薔薇は殺人を起こしている。被害者の命は二度と還らない。それを、傍観者の私が酒鬼薔薇の悲しみを思うことは許されるのだろうか……。

経験、か……。自分自身の被害体験。その加害者に対してならば、悲しみを思っても許されるのだろうか。

私は視線を宙に浮かせながら、悪を創造したのは私、と心の中で呟いた。ぼんやりとした光の中、白ひげの神さまの姿を想像し、私も神さまと話が出来たらいいのに、と思った。

症状は悪化の一途を辿っていた。鬱が激しくなり、将来のこと、年金のこと、コロナや社会情勢に怯えては、取り巻くすべての物事に変質的に怯えるようになった。もう何が原因なのかは分からない。ただ、変質的に「素人精神分析」にハマることで症状が急降下することは、十代の頃と似通っているような気もする。

テレビで犯罪のニュースが聞こえてくる度に、心臓病のように鼓動が乱れた。父の閉める、少し乱暴なドアの音。母の足音。すべてが、自分を責めているように聞こえて、「ごめんなさい」と涙を流して謝った。生まれてきてごめんなさい。

年金生活で、仕事も出来なくて、病気で、弱くて、邪魔者で、みんなの足を引っ張る疫病神。本当にごめんなさい。コロナ禍は終わることなく、きっと世界は滅茶苦茶になってしまうんだ。戦争だって起こるかもしれない。年金がなくなるかもしれない。両親が死んだら、私はどうやって生きていけばいいの? 路上生活? またレイプされたらどうなるの? また地震が来て原発が壊れたらどうする? 病気が進んでこのまま廃人になる?

もう何を見ても聞いても、恐ろしい地獄のふたが開くようにしか思えなかった。私は重度の鬱になっていた。あまりの恐怖に、心臓が壊れる程に動悸がして、眼球が麻痺したように白目を剥いた。

ベッドで休んでいても動悸は収まらず、常にマラソンをしているように心臓が波打ったまま、布団の中でもんどりを打った。部屋を真っ暗しにしてサングラスをかけ、痙攣する眼球に泡を吹く思いで、母が運んでくれるおかゆを食べ、這いずって階段を降りて歯磨きをしたら、浴びるように頓服を飲んで短い睡眠に落ちる。なんでこんなことになったのだろう。

この一年間の、N先生との手紙のやりとりが精神的にこたえたのだろうか。記憶を認識したことで、症状が悪化したのだろうか。こんなことになるのなら、記憶なんて確かめない方が良かったのかもしれない。こんなことになるのなら。これが私の人生の結末なのか。

この人生を私が「創造した」というのなら、私はよっぽどの物好きだ。けれど苦しめば苦しむほど、私はこの人生をただの偶然の産物とは捉えられないようになった。「何か意味があっての苦しみなのだ」と思う以外に、この苦しみに意味を見出す術がなかった。

そんな状態が二か月程過ぎた頃だった。眼球上転でスマホもほとんど見れないため、私は本の朗読アプリを見つけて枕元で掛けるようになった。たいがいはヒーリング音楽や、催眠療法の静かな瞑想誘導の声を聴いて動悸を和らげていた。何気なくオススメ一覧を見ていると、「神さまとのおしゃべり」という本の紹介に目が止まった。

著者はさとうみつろう。聞いたことがある。確かAIが意思を持っているようだという、アメリカの開発者の告発の英訳記事の紹介をしていた人じゃなかったっけ。興味を惹かれて朗読の再生ボタンを押した。神さまと著者の対話形式の本だ。ニール・ドナルド・ウォルシュの「神との対話」とは違って、ちょい悪オヤジみたいな神さまと、神さまにタメ口で応答する主人の漫談みたいな会話。

哲理学というジャンルらしい。なんだこれ。面白い。気が付くと荒い動悸がどこかにいってしまい、私はお腹を抱えて笑った。

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「幸せになりたいんだろう? 叶えてやるよ。その願い」

主人公みつろうの頭の中に響いてきた怪しい声が、そう囁く。

さて「幸せにしてやろう」とノリノリで登場しておいてなんじゃが、お前の願いはすでに叶っておる。よって、お前はすでに幸せじゃ。

「いや、望んでいないことがバンバン起こっている人が、さっそくここに一人いるってば。私は会社になんて行きたくありませんが、毎日イヤイヤ通っております」

「行きたくないなら、行かなきゃいいじゃないか」
「会社に行かなかったら、給料もらえないでしょ」
「給料もらわなきゃいいじゃないか」
「給料もらわなかったら、ごはんが食べれないでしょ? ひょっとしてあんた、人間界のことをあんまりご存じない感じ?」
「ごはん、食べなきゃいいじゃないか」
「ごはん食べなかったら死んじゃうの!」
「死ねばいいじゃないか」
「あんた、正気か? まさかしょっぱなから死ぬこと」をすすめられるとはな」
「死にたくないのか? それがお前の望みなんじゃな? 叶っておるじゃないか。お前は今、生きておる。生きるためにごはんが食べたいんじゃな? それも叶っておる。食べるために給料をもらいたいんじゃな? これも叶っておるぞ。給料をもらえとるじゃないか。給料をもらうために、会社に就職したいともお前は願ったんじゃな。 全部、叶っとるよ。今、お前はあこがれの会社員じゃないか! おめでとう、みつろう君。君の「現実」はなにもかもが、君の望み通りじゃ!

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私は開始五分であっけにとられた。「以上」という感じ。このサラリーマンの悩みは全国の半分程度の人に当てはまるだろう。そして、それは形を変えて、私の人生にも当てはまる気がした。待って。それはそうなんだけれど。その通りなんだけれど。開始五分で私の悲劇の人生を終了させないで。すごく複雑な気分。そしてさわやかな気分。一体何がどうなったのだ。

******

「人間には望んでいないことだって起こります! 「嫌な上司と一緒に働きたい」だなんて、絶対に願っていません。めっちゃ指示が細かくて、いちいちうるさいから。アイツのせいで、ぜんぜん仕事が前に進まないの。アダ名は「チェックマン」! アイツと一緒に働きたいなんて、絶対に願ってねーよ!」

「いいや、願った。お前は「仕事はスピィーディーにしたい」と願っている。でも、心の奥底では「完璧に仕事を仕上げたい」とも願っている。こうし嫌な上司と思っているその人は、「ゆっくり丁寧に」という願いを叶えるために、お前の現実に現れたんじゃよ。お前の望み通りにな」

「でも俺、チェックマンのことめっちゃ嫌いですよ? 俺一人で「スピーディーに」かつ「ゆっくり丁寧」に仕事すればいいんじゃないの?」

「できるかっ‼ アホかお前は! どうやって「スピーディー」かつ「ゆっくり」と仕事なんてできるんじゃ? 一人じゃ絶対に無理じゃよ! こうしてお前の願いを叶えると、

「私がスピーディーに仕事をこなし」
    ↓
「私以外の人がそれをゆっくりと丁寧にチェック」
    ↓
「さらにのろまな人には文句を言いつつ」
    ↓
「でも結局は仕事は完璧に仕上がる」

「現実」のその全てが、完全にお前の願い通りに叶っとるじゃないか。目の前で。

***********

私はアプリを閉じて唸った。この現実は、すべて私の望み通り?
私は苦しみたいの? いいや、そんな筈はない。けれど、私は病名がPTSDと言われて喜びを感じなかったか。統合失調症という、狂人みたいな重い病名より、PTSDの方が、被害者らしいし、「軽い」とも感じていた。PTSDと言われても、その症状がない自分にどこか後ろめたさも感じていた。今の自分の症状は、まさしくPTSDの症状。まさかここまで壮絶な病気だったとは……。

そのように考えると、まさにこの現実はすべて自分の望み通りだった。酒鬼薔薇の事件から、犯罪者の更生を見たいと願い続けていた。働くのが辛過ぎて、休みたくて仕方なかった私は、病気であることで、働くことを容赦された……。

「一度、落ち込まないと、その後、よろこびを感じることはできないんじゃよ。これは力の原則じゃ。この世界はすべて相対性の世界だから、「なにか」と「なにか」を比べることではじめて、すべての位置が確定するんじゃよ。ジャンプするために、まず人はかがまなければいけないじゃろ? 「自分は不幸である」と思わないかぎり、「自分は幸せである」と実感できないんじゃよ。そう……。言うなれば、これまでの人生とは「仕込み」の次期だったんじゃ‼ さあ、のれんを表に出しなさい。新装開店じゃ‼」

私は、発作よりも強く、胸が高鳴るのを感じた。

眼球上転は少しだけ収まりを見せていた。母に折り紙を買ってもらい、大きなくす玉を何個も作った。作り方が複雑で、一つを作るのに五日くらい掛かる。その分、くす玉は花を咲かせたように可愛かった。けれどすぐに動悸がしてきて、またベッドに横になる。生活は、母の介護なしには過ごせなかった。母がいなくなったら、私は閉鎖病棟か施設の奥で過ごすのかな。折り紙を折ることだけが生きがいの人生。これは何かの罰なのかな。前世でよほど悪いことをしたとか。前世では、私は男性で、女性を何人もレイプしたのかもしれない。それを今世で償っているのだろうか。眼球上転は辛いものの、目が失明することはなさそうだ。N先生はこれ以上に酷いストレスで視力を失ったのだろうか。そして、そのストレスは私が与えたものなのだろうか。因果応報に、悪も善もないのかもしれない。与えたものは、自分自身が経験していく。そのように、世界は回っていくのだろうか。けれど、出来れば、ほんの少しだけ、幸せになりたかったな……。

私は朗読アプリで「神さまとのおしゃべり」を掛けると、布団に横になった。

**********

「お前は、鏡を見たことがあるか?」

「あるに決まってるでしょ。今もバックミラーを見ながら車線変更したところじゃん」

「よしわかった。お前は地獄行にしよう。ワシに嘘をついたのだからな」

「ふざけんな! なんでお前が記憶障害になったばかりに、オレが地獄に行かなきゃならんのじゃい」

「だってお前は鏡をみたことがある」という嘘をついた。お目が見ているのは鏡ではない。「鏡に映っているもの」を見ておるだけじゃ。鏡という物質そのものを見たことは絶対にない筈じゃから

「……ちくしょう。この問題、息子のとんちクイズに出したいくらい、秀逸ですね。

「鏡は常になにかを映しておる。毎朝、七十億人が鏡を見ているが、彼らは鏡を見ておるんじゃない。「そこに映っているもの」、すなわち「自分自身」を見ているだけじゃ。自分が、自分を見ておるんじゃぞ。これが、どういうことか分かるか?

「人類がみんなナルシスとってこと?」

「いいか、ちょっと目を閉じて、ひろーい真っ暗な宇宙空間をイメージしてごらん。そしてその空間には、お前と鏡だけがぽつんと置いてある。それ以外は、完全になにもない空間じゃ。ところが、「鏡そのものは見えない」とさっきお前は気づいた。物質が見えないということは、そこには実はなにもないんじゃよ。「映っている者」と「映している者」の間に、「鏡」という境界線なんてないんじゃぞ?お前がいて、鏡があって、その向こうに映ったお前がいるんじゃない。間の「鏡そのもの」なんてないんじゃから。その宇宙空間には、お前だけがただ拡がっていることになる。お前が、お前を直接見ておるんじゃよ。

「マジだ! 仕切りの鏡がないんだから、俺、めっちゃ一人ぼっちじゃん! こちら側にも、あちら側にも、ずーっと俺がつづいているだけ……。イッツみつろうワールド!」

「それが、この宇宙という現実なんじゃ。宇宙空間にあるものは、実はあなただけ、なんじゃよ。いつでも、あなたがあなたを見ておる。現実にあるものは全てが、あなたなんじゃよ。ということは、もし、うんこが「現実」にあるのなら、それはお前じゃ。スーパーに変質者が現れたなら、それもお前じゃよ。

「例えがめちゃくちゃむかつくものの、理論上、そうなりますね。うんこも変質者も俺。てか、見えるもの全てが俺。見えるものどころか、宇宙そのものが、俺自身じゃねーか」

「虹も、花も、鳥も、森も、全てお前じゃ」

「すべてが俺なら、俺が俺を嫌い、俺が俺と口論し、そして俺が傷つく。……。一人でいったいなにしてんだ、俺は?」

「遊んでいるんじゃよ。全てがお前なのじゃから。どこにも危険なんてない完全に安全なる世界で」

*******

宇宙そのものが、私?
N先生も、ヤクザの加害者も、私?
お父さんも、お母さんも、チャチャも、この家も空も地球も、存在するすべてが私自身……。この世界を丸ごと受け入れたら、どうなるの。なんだかすべてが愛しく思えてくる。犯罪も、加害者も、傷つける人も、優しい人も、すべて「私」が映っているだけ。その世界の中で、私は「私」という視点を定めてゲームをしている。まるで波を楽しむサーファーのように。でも、苦しむのはごめんだ。こんなゲームに設定した記憶なんてないよ。私は首を捻って唸った。

*****************

「僕はもう、天使に生まれ変わったんだ。悪いことなんて、今後一切、僕の脳裏にはよぎらない。全てが私。アーメン。それにしても、前の車めっちゃのろまだな。あおってやる。(ブッブー。)」

「さっそく他人を責めとるじゃないか! お前よく自分の会社のマークが入った車でそんなことができるな。アホとしか思えん。いいかみつろう。「現実」とはお前を映し出す鏡じゃったよな? 確実にクレームの電話がお前に跳ね返ってくるぞ。「現実」が鏡なら、鏡に対して行ったことは全部本人に跳ね返ってくるに決まってるじゃないか。

「ほお……。ちょっとビビり始めたので、どういうことか教えて。とりあえず、前の車にもうクラクションは鳴らしませんから。」

「簡単な原理じゃないか。鏡はお前を映しておる。お前がやったことを、跳ね返し続けているということじゃ。優しくすれば優しさが還ってくるじゃろう。鏡という「現実」がお前の信じた「優しさ」を映し返すのじゃからな。なあ。みつろう。もしも、短パンを穿いたOLが鏡を見ながら「私はスカートを履いた筈よ!」 と言っていたらどうする?

「そっと、病院を紹介します」

「お前たち人間は、いつもこれをやっておる。「短パンが映った鏡を見て、私はスカートを履いた筈よ!」と叫んでおる。今後、「現実」にイラ立つたびに、「短パンOL」を思い出しなさい。ふと笑えるから、ハッと気づけるじゃろう。「そうか、私が信じたから、この現実が映っているのか」と。では次に、鏡の中に手を入れて、鏡の中の自分の髪型を先に変えようとしている人がいたら。どうする?

「さっきより、重めの病院を紹介します」

「だよな。でもこれもお前たちが普段「現実」を見て、やっていることじゃ。鏡に映る、自分の髪型を先に変えようとしている。そんなの無理じゃよ。

「鏡の中に手を入れようとして、確実に鏡の表面で突き指しますね。」

「当然じゃ。わしでもできんよ。鏡の中の髪型を先に変えるなんて。じゃあ鏡という「現実」に映っているできごとが、気にくわない場合は、どうすればいいんじゃろうか?

「鏡に映っている髪型を変えたければ、映っているこちら側の髪型を先に変えればいい。……そうか。「現実」を先に変えることは、できないのか! それを見ているこちら側が先に変わらないといけないんだから!」

「そうじゃ! よく分かったな。現実を先に変えるのは、不可能なんじゃよ。現実を変えたいなら、「投影元」であるあなたの考えを先に変えるしかない。

「先に僕の考えを変える……、ということは「解釈」を変えればいいのか!

「そうじゃ! できごとを先に変えるなんて、不可能じゃ。できごとが起こった時に「どう思うか」を先に変えるしか方法はない。のろまな車が「現実」に映った。お前はクラクションを鳴らすことで、のろまな車を変えようとした。違う、違う! 無理無理無理! 鏡は先に変わらん。のろまな車に対して、お前が「どう思うか」を先に変えるんじゃよ。

なにを思うのかが変われば、投影元である、お前の固定観念が変わるのじゃから、映し出すだけの「現実」は確実に変わるじゃろうよ。いいか。これは格言だから覚えておきなさい。「鏡は先に笑わない。こちら側が先に笑うんじゃ。解釈を変えるんじゃよ。

そうすれば、その後、鏡にも笑顔が映るじゃろう! 人間よ、あなたの「現実」を見て、「現実」よりも先に笑いなさい。鏡は先には、笑わないのだから。いいかみつろう。前を走る車のことを、どう思いたい?

「のろまなのろまな車さん。どうぞゆっくり進んでください。僕が車線を変えればいいだけですから。バッイバーイ!」

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