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鉄紺の朝 #01

 第一部  御神前勝負

   序章   

 瀬戸内海もいわゆる周防灘といわれるところでは、小島の群れも消えて南は四国と九州の間を通り太平洋へ出、西へ行けば壇ノ浦を抜け玄界灘へと続いている。北にはいわゆる中国山地の西端にあたる小高い山並みが見える。山々は幾多の流れを生み、絡まり、纏まり、川となって瀬戸内の海へと流れ出る。
 そのうちの一つに、佐波川がある。国境の山に端を発し、蛇行を繰り返し、時には氾濫しながらも、流域を潤し続けている。
 河口に小さな平野がある。西国街道の宿場や昔からの街並は山に寄って連なっているのだが、江戸時代に入ると、新田開発、塩田整備などで平野を拡げ、今ではかなり沖合まで田圃なり、塩田が広がっている。また、ここで採れた塩を北前船で東北や蝦夷へ送るための寄港地となったため、港町はたいへんな賑わいである。
 川を遡ると、昔より良木の産地として知られ、源平の兵火で焼かれた東大寺再建を図り、勧進して歩く俊乗房重源上人が、杉、檜を切り出してこの川へ流し、奈良へと送り出した地がある。
 その山懐の奥、満天の星に向けて梢を突き上げている杉が黒々と覆いつくす山峡の道。梢の狭い隙間にある星のほかには、漏れる光も無く、足下に踏み均された道があることすら判らないほどの漆黒を一人の山伏姿の白装束をまとった男が奥へ奥へと歩いている。
 そこへ一匹の猿が「カーッ」と牙を突き出しながら道の行く手をさえぎる。その間三間ほど、白装束は止まる素振りすら、いや、猿の存在すら無い物のように歩き続け、猿も猿で、いっこうに逃げ出す気配すらない。お互いが一間ほどまで縮まり、なおも歩みを進める白装束の頭をめがけ、精一杯の力をためた猿が飛躍をした刹那、漆黒を流れる銀線。一瞬の後、互いの体は入れ替わり、猿は魂の抜けたように地面にたたきつけらて、白装束はそのまま乱れもしない足取りを先に進めている。
 猿は絶命したのかというと、そうでもなく、しばらくして胴震いを一つしながら四つ足でようやく起き上がったが、その口元は両の牙が根元から断ち切られていた。
 ゴーッとあたりに轟く滝の音。先ほどの白装束が下帯一つになり、滝にうたれて不乱。口元を小さく動かしながらつぶやいているのは修験の唱えか、臨兵闘者皆陣烈在前の九字か。どうやらそうでもなさそうで、内心の言葉がそのままつぶやきに出たものだった。
 「猿にも察することのできる程の邪気が、この五体から立ちのぼっていたのであろうか、こちらの殺気がさほどまで強かったのであろうか・・・」
 そこからは不浄を洗い流すように臨兵闘者皆陣烈在前を幾度も繰り返すのみ。
 やがて空を覆っていた星も白暁に一つ、二つと姿を隠して、鳥の啼く声が滝の音に混じりだした頃、白装束は先ほどの打たれていた滝を離れ、滝壺の反対側にまわり、方丈の岩に座り落ち行く水をただひたすら眺めていると、一羽のツバメが、剣で薙いだように片方の翼で水布を切りながら飛び去り、滑空して再び同じような所作を幾度か繰り返した後、梢高くを照らし始めた陽に向かって飛び去った。

 青嵐、山を駆け下りる。
 井戸に釣瓶が勢いよく落ちてゆき、跳ね返るように勢いよく引き上げられる。
 前屈みになって、ざぶんと後ろ頭から水をかぶり、腰に掛けた手ぬぐいで顔やら首やらを拭っているのは、八橋源吾。渓燕流の師範代を務めている、年の頃二十半ば、巳の刻の陽がきゅっと引き締まった肉体にまぶしい。
 「精が出なさるのう」
 山茶花の垣根越しに顔をのぞかせた、近所の老爺。
 声の方を振り向いて「じいさんか」と微笑むと
 「ところで、玉之宮さんの試合、今年は誰が出なさる」
 「今年は弟の孝太郎が出ることになりました」
 「ほう、いよいよお出になるか・・・頼もしいこと」
 「いやいや、まだまだ修行の身、至らぬところも多々ありますが、兄の私から見てもここ一年ほどでずいぶんと腕を上げて、同じ門弟の中でも一歩出ている感じがいたしております。ただ、私がこういうと、身内の欲目ととられても仕方ないので私の意見は隠したまま、皆の意見を聞いたところ、衆目一致で源吾を推すので、それならばということになりました」
 「それなら今年も期待できますのう、わしら皆、八橋さんのところを応援しておるので、頑張ってくださいのう」
 そう言って、とことこ歩いて行った。

 川を西に渡ると、所々にゴツゴツと岩をむき出した山があり、その手前の田圃の中に玉之宮さんと呼ばれて、土地の人から親しまれている鬱蒼と樹々に囲まれた玉之宮神社がある。毎年二度お祭りが開かれる。夏先、あたりの田植えが終わり、青い稲がぐんぐん天を指して伸びている頃に一度。秋、稲穂の刈り入れも済み、株に初霜のおりる頃に一度。特に夏の祭りは『御神前勝負』といわれている奉納試合があり、それを目当てに、近郷近在の衆が皆集まると言っても過言でないほどのにぎわいを見せる。
 先ほどのじいさんが聞いていた「誰が出る」というのは、この御神前勝負の事を言っているのだ。この祭りが近付くにつれ、人が集まるところに必ずこの話題である。
 御神前勝負の起こりは天正年間といわれている。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際にこの地からも兵を出す事になり、必勝祈願として、奉納試合を行ったのが始まりとされ、相撲や剣術などが行われている。
 相撲は氏子のみならず近郷の村からも参加者を募り、勝ち抜きをする。
 一方剣術は、この地の二大道場である、八橋道場の渓燕流と、島田道場の千手木流による一本勝負の一試合だけが行われる。
 かつては剣術の奉納試合も、近在からの参加者を募り勝ち抜き戦をしていたのだが、褒賞目当ての道場荒らしや流れ浪人なども参加して、勝敗にケチを付けたりして奉納試合も荒れてきたので、八橋道場と、島田道場の二つにしぼって参加を認めることにしたのである。
 渓燕流と千手木流の試合が行われるのは一年に一度その日だけであり、それ以外では稽古の中での勝負すら禁止されている。つまり、互いに出稽古に出かけて胸を借りるという事は、この二つの道場の間には皆無なのである。
 また慣例として、双方とも師範や師範代をのぞく門下生の一人を選び総代として試合に臨ませる事になっている。

 『 定  総代一名一本勝負、両者遺恨残サジ 』

 今も木板に墨で書かれた条文が、境内の一隅にある柱に掛けられている。

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