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コミュニケーション講座に通わなくとも、日々傾聴力鍛えてます。


傾聴力。最近よく聞きはしないだろうか。
もともとはカウンセリングや対人援助の業界で頻繁に使われるワードではあるが、ここ最近は色んな業界でも使われていると思う。

この背景には、現代の日本人の在り方が影響してる。と私は思う。

昔はリーダーシップやら競争やらのトップになるための理論系が多かったし、そういうことがそつなくこなせる人が人気だった気がする。

けど今は時代も変わり、多様性の時代。
一人一人が違うし、順位もつけ難い。

トップに求められることは、みんなをぐいぐい引っ張っていくのではなく、みんなの意見を聞いて、みんなの良い部分を引き出し、一つの目的を達成していくこと。

だから、人の話を聞けない人やトップダウンしか手法を知らない人は出世をあまりしなくなった。
カリスマというギラギラした言葉も最近聞かないし、マウントしてくるママ友には人は寄り付かなくなった。

時代は人の力や特性を引き出せる人がリーダーとして重宝されるようになった。
だから傾聴のできる上司は部下の信頼を勝ち取りやすい。

しかしながら、この傾聴ってなかなか難しい。

自分の考えや価値感の違う人に口を挟まず聞くに体する。

聞いた内容が理解できなければ、それにあった質問をする。

質問も相手に負担や不快がないように的確な質問を用意しなければいけない。

また相手が話しやすいような環境設定や姿勢も大事になってくる。

相手の思いがやっと理解できたと感じても自分の価値観なんかが邪魔をして、結局勘違いしていたみたいなこともある。(部下の悩み相談とかあるある)

傾聴力って筋トレと一緒で日々鍛錬と反復練習が必要だと思う。

しかし。この傾聴力。
幼い子を育てる親は日々鍛錬しきってると感じる。

それはなぜかというと。
我が子への傾聴がこの世で一番難解であるからである。


傾聴の場面は突然やってくる。大人と違って子供は「ちょっとお時間いいですか?」など言ってくれない。

それどころか朝の忙しい時間、夜の疲れきった時間に限ってやってきて、しかも全身全霊で感情をぶつけてくる。
(我が家はよく風呂場の脱衣所で素っ裸のときに始まる。TPOなぞ関係ない。)

ここで聴く側の耐性が割とある時であれば、こういう時こそ、こちらも感情を剥き出しにしてはいけないと脳に何度も伝え続け、傾聴を開始する。

この時の子供は大体何言ってるか分からないので、わかりやすい手短な質問を駆使しながら、子供の思いを聞いていく。

けど大体この質問が失敗する。
「ちがーうー!!!」とこっから更にヒートアップしていく。

ここまでくると子供ももはや何がして欲しかったのかわからなくなってる時が多い。

「そっか、辛いんだね」、「なんで泣いてるのかママ知りたいな」とか、傾聴あるあるのワードを連発する。耐え時である。

これもっと過酷なのがイヤイヤ期始まった一歳半過ぎ。まだ言葉を取得してないから、ノンバーバルコミュニケーション傾聴力である。(おそらくそんな専門用語はない)

そんなやりとりを続けていき、やっと辿り着く。
それは、自分でパンツを履きたかった、とか、ジュースの味がいつものじゃなかった、とか拍子抜けする理由ばかり。

理由が分かった時は、ああ良かったと嬉しくなる時もあるが、こんな理由で泣き叫ぶんかい、とイラッとするときもある。
時には私はこの時間こんな必死になって何をしてるんだろうと虚しくなる時すらある。

これ、鍛錬以外の何者でもない。
筋トレで例えるなら準備運動なしのハードワーク。乳酸溜まりまくっても容赦ない。
恐ろしいブートキャンプ。しかも達成感は、あまりない。


我が子を見てると、傾聴の成功って、聞くことで相手の考えや体験したことが想像できる状態になれることなんだろうな。
それを体現できるまで、聞く、質問する。

極めるには人格者や専門家でないとできないかもしれない。

けど、我々親は育児以外の仕事を持っていようがなかろうが、なかなかのハイスキルなコミュニケーションを日々こなしている。

そしてこのスキルは絶対に社会に役立たつ。
だから子育てと社会活動スキルは繋がってるんだ。と信じたい。

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