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はじめまして:3
はじめましてが長いんだよ!って突っ込まれそうですが、もう少し自己紹介を兼ねて綴らせてください。
はちみつ嫌いのはちみつ屋誕生の経緯
「はじめまして:2」でも書いたように、わたしははちみつが好きではありませんでした。
はちみつ屋のくせにはちみつが嫌いとか言うなよって事なんですが、志した当初はさして好きではなく、どちらかというと嫌いなものでした。
じゃあなんで養蜂をやろうと思ったの?とのご指摘、全くもってごもっともです。
はちみつが好きなんじゃなくて、巣箱がかっこいいと思っていたからなんです。
巣箱です。
まだ小さい子供の頃、あんまり裕福じゃなかった我が家のレジャーは、ドライブがてら地方の美味しい水をゲットしたり、自然の中を探索したりする事でした。
そんな時、見つけたんです。 みつばちの巣箱を。
ドライブ中の車窓から、原っぱに箱があるのが見えました。
なんでか分からないけれど、「アメリカっぽい!かっこいい!」と思いました。
なんでアメリカなのかはいまだに謎ですが、幼い心に強烈なインパクトを与えたのは確かです。
今も巣箱が並ぶ風景は「アメリカだな。」と、根拠もなく思っています。
アメリカ、行ったことないんですけどね!
三つ子の魂は少なくとも50過ぎまで有効なんだと証明されました。
巣箱だけでそれ、仕事にしちゃうかね?というご指摘、全くもってごもっともです。
養蜂家になろう!と師匠の門を叩いたのは令和4年の事です。
その年の春に自身の母を亡くしました。私たち夫婦にとって最後の親との別れだったので、もう地元にいなくてはならない理由もないし、借りていた一軒家は老朽化が進んで少々危険な住み心地。
引越し先を探そうかとうっすら考えていた折の母の死が、ちょっとエキセントリックな道へと後押ししたのかもしれません。
諸々のご縁があって、先に長女と長男が仕事で住んでいた町の養蜂家の師匠の元で指導を仰ぐ事になりました。
危険な家には住めないし、退路を断ったと言うよりは断たれた感じで養蜂に突っ込んでいったんです。
今思えば、家族の協力なくしては引越せなかったし、あのスケジュールでよくやったなと呆れます。
いまでも時々あの時のことを怒られたりしています。
で、家族はどうしてる?
引越しは道央地区から道北へと引越したので、まあまあ遠くへ移った事になります。
引越し屋さんに頼むでもなく、ひたすら荷物を車に積んで運ぶ事を繰り返し、その後も何かしらの用事があったので、車の走行距離は半年で4万kmを超えました。
わたしたちの引越しと同時進行で次女が札幌に一人暮らしをするために転居し、当時中学生だった三女の転校手続きをしたりと、わちゃわちゃしていました。
ここで、旦那さんは?!旦那さんはどうしたの?!ってよく聞かれます。
夫の仕事は地方の現場での業務で、その時々にホテルであったり宿舎が用意されたりするので、ほとんど家には居ないのです。
引っ越すだけなら大きな問題はなかったのですが、やはり住み慣れた街を離れるという事がものすごいストレスだったらしくて、あの頃は会えば罵詈雑言を浴びせられて、しんどかった思い出があります。
今は色んな対策を経て心丈夫になったおかげで応援してくれるようになりました。
長女は結婚して別世帯、わたしは長男が購入した家に居候、次女は札幌で一人暮らし、三女も、もうすぐ同じ町の中で一人暮らしを始めます。
夫はこれまで通り地方のお仕事、今は道南の大きな現場の近くで過ごしています。
見事にバラバラ。
この3年弱の間、ギュッと凝縮され過ぎててあっという間でした。
本当色々あったけど、なんか面白いよねって娘が言ってました。
面白くなるのはこれからだぞ。母はそう思っています。