動悸と腰の軽さと遅刻の問題
そんなこんなで生まれつきは、
若干体が弱いはずの自分ですが、よく動くタイプではあったはずです。
人が動いているのに座っている事はできないし、呼ばれそうなら先に立ち上がる。
時間があれば前倒しでできる事をしておく。
待ち合わせには走ってでも、早めに着いておく。
情報もいち早く仕入れる。
仕事でも家でもその他でも、
自分限定の体育会系で腰が軽く(尻が軽いではない)、
そうでない自分を知らなかったです。
しかし最近、年齢のせいか、これまでの無理が祟ったのか、
はたまた新型コロナワクチン後の、
「あれは明らかに心筋炎だったなあ」、のせいか、
とうとう日常的に、動悸がする身の上になってしまいました。
まあ、元々壊れ物の身体を上手に使ってきただけだから、
できる健康対策をしながら使える所までは使おうという感じですが、
さすがにゴロゴロすることは増えました。
その時間でこうやってさっとスマホでnoteとか書いている訳で、
やっぱり少し勤勉に過ぎる気もしますが、
自分的にはリラックスして、ボヤッと書いています。
生き急いだ分、早く死ぬだろうし、
やっぱり好きな前倒しで、人生の整理ができるのも性にあいます。
そんな感じで、noteのおかげもあり、
今の状況も悪くはないのですが、
2件問題があります。
まずは、時間ギリギリ問題。
今までは早め早めにサッと動いていたのが、
なかなかスピードが上がらず、
化粧やご飯などの削れるものを削って
動くのですが、
削るとなるとやはりそんなには思い切れない。
時間ちょうどくらいに、おまたせー、と行くようになってしまいます。
年齢的には多少それでも許される感じにはなってきているし、
世の中わりとそんな感じだな、とも気付いたのですが、
たまに少し遅れたり、出掛けにバタバタして忘れ物をすると、
とっても落ち込みます。
元々の私を知ってくれている人たちは、
大丈夫?と言ってくれ、
とても申し訳ないけど、
そういう許され方をこれまであんまりしてきてないので、
内心ちょっと嬉しい。
人に救ってもらえてる実感があります。
もう一点は、子供の期待
「お母さんはそんなんじゃない。
フッ軽で元気で力強いでしょ」
ほろりとこぼれる言葉から、そう言いたい気持が伝わると、
とても切なくなります。
年齢的には自立してもらいたいので
「いやー、ムリよー、トシよ」
とか積極的に言っているし、
そんな事は充分理解している賢い子たちですが、
やっぱり小さい頃に信じていた事が崩れる痛み
が、伝わる。
私だってかわいい子供たちの期待には応え続けたい。
いつまでも子供ってこういうことか、
と実感しています。
切ない。
しかし、そこでなぜかおいしいのが主人で、
人の過去の実績はスパーっと忘れ、目の前の出来だけを評価する人なので、
「なんなんだよ」と思い続けてはきたのですが、
切なさを吹っ飛ばしてくれるという意味ではとてもありがたい。
「今は今なりに精一杯やってるんだよ!多分」
と、反発のような形でエネルギーを与えてくれるのです。
いや、記憶の少ない今しか見えない人、
大したもの。
そんな周囲に、エネルギーをもらいながら、
せめて頭の中くらいは整理して、
もっと磨いていこうと、
思う次第です。