
ガンダムSEED・21世紀生まれの見方
ちょっと前の話ですが、今年の子供の春休み、
急遽映画に行こう、という話になり、選択の余地が少ない中、
ガンダムSEED劇場版を一緒に見ました。
私は儲かったアニメとして、およびフレイさんの哀れな悪女ぶりが印象に残ってたくらいで、
子供は生まれる前のアニメで、
西川のアニキの知名度に釣られたけど、完全初見。
さてどうなるか、と思いつつの視聴。
結果、純粋に面白く、私はとても楽しめましたが、やはり子供は困惑したようで直後の反応は「音がうるさかった」のみ。
ごめんねー、と言ってました。
しかしここ最近、なんかのきっかけで話を振ると、
びっくりするくらい古参みたいなネタを語る語る。
また、先日NHKの再放送、
「アニメが問う戦争と未来 〜ガンダムSEEDの20年〜」
をたまたま一緒に見た際も、
制作陣の背景に興味を持って見ていました。
どうやら、動画の世界でのミームとして、しっかり後追いしたようで、
「劇場で見たんだぜ」的な嬉しみも感じてた様子。
年上の子に「えー、面白そう。自分も行きたかったー」と言われたのもあり、
知識を次々披露してました。
が、
私が検索しても動画リスト上位に出て来るようなネタばかりで、
本物の古参には鼻で笑われるだろうけど、むしろそこが可愛らしく、
20年という年月を考えると異文化理解みたいなものだろうのに、よくぞ興味を持ってくれたと思いました(親バカ)
「アニメが問う戦争と未来 〜ガンダムSEEDの20年〜」
を見てても感じましたが、戦争への感性は人それぞれ。
表現における判断を突きつけられると、
それはとても難しいものとなる。
だからこそ受け取る側の感性の幅を拡げない事には、表現の制限もより狭まると、私は考えました。
だから、20年もののアニメに興味を持つことは無意味ではなかったかと。
ほぼNHKさんの特集のおかげの結果論ですけど、一応落とし込めました。
ガンダムSEEDの映画自体は半分ギャグみたいなものだったとは思いますが、
上質のギャグだったし、
残りの半分を包み込むためのオブラートとしても、必要な部分だったと思います。
私にとっての邪宗門
話は飛びますが、私も
10代で、
高橋和巳先生の「邪宗門」
を、初めて読んだ時は、
謎のバイオレンスさにクラクラしました。
私が生まれる前の世界が舞台だし、
理解に苦しむ所もあったけど、
確かに「これはすごいわ」と思い、
その辺りの本を次々読んで、
自分の幅が少し拡がったように思います。
子供にとっての今回のSEEDみたいなものだったのかな、と思い出しました。
親の打算
あと、親の打算ではありますが、
ガンダムSEEDは、
子供が社会に出た時に、
上の世代と絡むのに役立つパスポートになる可能性も秘めていると思うので、
異文化理解としての深掘りを、
飽きずに続けられるよう、
さり気なく誘導しちゃおうかな、
と企んでいます。