げんいけん と ほうえいけん
アニメのタイトルやキャラクターのようですが、違います。
げんしけん でも 映像研 でもありません。
原爆放射線医科学研究所(原医研)
と
放射線影響研究所(放影研)
です。
ノーベル賞絡みでの思い出しで、
私は、原医研では働いた事がありますが、
放影研は謎に包まれた存在として認識しています。
原医研(原爆放射線医科学研究所)
原医研は広大病院の裏手にある謎の建物ですが、
規模は大きいものの、わりと普通の研究所で、
性質上、下手なことは言えませんが、
職場として とても良いところでした。
長崎大学と福島の似たような組織とネットワークがあって、
放射線災害・医科学研究拠点としての位置づけを持ちます。
放射線の医療使用や工業的利用がある以上、実際的な医療分野であって
そういう意味でも普通だし、
原爆に直接は関係ない基礎医療研究もされていました。
しかし、
残念ではありますが、
日本に原発があり、
北朝鮮初め世界に核がある以上、
充分な実効性を維持する必要がある、
「緊急被ばく医療拠点」としても、
大きな価値を持ち続けてしまう存在。
東日本大震災原発事故からの再定義も、
否定しがたいのではないかと思います。
(以降はちょっと関わっただけの私が
知ったげに言って良いのかは迷いますが、あえてそれでも)
その根っこは、
放射線障害に苦しむ方々の為の治療研究の場として在ってきた事。
もっと言えば、
苦しみながら亡くなった方々のご献体からの大事なサンプルも、
大きな意味を持っている。
多くの、多様な人間が、様々な形で放射線にさらされ、
大きなスケール、長いスパンで確認できてしまった状況。
それが活かされている。
それは単純な事実として、そうだと思います。
きっと、そもそもは純粋な想い。
被爆者の、
苦しみや不安、
そして治療法の確立への希望の
受け皿。
それが本来の姿で、
今でもそういう面は大きいと思う。
でも、
大きく貴重なデータの塊でもある面も
否めない。
でもでも、
そのデータの一つ一つに人がいるから、
そのデータを殺してはいけない。
最大限活かさないといけない使命のようなものがある。
でもでもでも、
大して生かされないで済む世の中が理想でもある。
そんな組織の、
ややこしいことを全部ひっくるめて一般市民が理解して、
それでも未来や、先にいる一人を助ける事につながるなら、という意志を持ち
己をデータ提供元としてでもと、
前向きに医療の発展にご協力下さった、
あまりに聡い方々。
それも私のもつ、被爆者へ方々の印象の一部です。
数字だけとなった、儚い弱い存在ではありません。
端から考えると本当に難しい話ですが、
私が知る広島の方々は、
そういう課題を身近に突き付けられ考えて続け、
とにかく対話しまくり、
多角的な理解を深め、
今後もそれを先に進める基礎となる
教育や仕組みをきちんと構築してきたんだから、
もう、土台が違う。
ある意味被団協と表裏の、
手を取り合って世界的な平和に向かって進むのとはちょっと違って、
個々人の思いや、苦しみの一つ一つを形にして、迷いながらも真摯に未来に繋いでいくような、
知性が悩みながら未来を救おうとする
そんな被爆地の在り方。
それが
「げんいけん」という、
たった五文字の呼称の中に、
ぎゅっとされて私の中にあります。
※放影研は見た目しかよく知らないし、
目的も多分少し違うので、また調べて。