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お弁当を渡しに行きたい

お弁当作り歴はとても長いのですが、
上手にはなりません。
できれば作りたくありません。

高校生の時は、自分と妹と、
さらに近所で一人暮らしをしていた
ほぼ同世代のいとこ男子の分の、
3人分のお弁当を作って、
朝ごはんも作っていました。

なので、朝、自分の髪をつついた記憶がないです。

なにが苦労したかって、
自分が稼いでいるわけではないので、
材料を自由に買えるわけではなく、
やりくりにものすごく苦慮してました。

とにかくお弁当を埋めることに、
毎日頭を悩ませて、
休みの日にピクルスを漬けたり、
冷凍スイートポテトを作り置きしたり、
自分のこづかいまで投入していました。

特に、すでに働いていた従兄弟のお弁当箱はとっても大きくて埋まらず、
白米をガンガンに詰め込むぐらいは序の口で、

レタスをふわっとさせたり、
寒天を固めて場所を埋めたり、
しまいにはアルミホイルを丸めたり、
自分でもサイテー、申し訳ない、
と思うような手も使っていました。

でも、従兄弟は毎日、「うまかった」と
ちょっと下手な笑顔で言いながらお弁当箱を返してくれ、
一度も不満を言わない、本当に良い子でした。
ものすごい料理が上手なお母さんに育てられたから、
絶対数段落ちてるはずなのに。

主人に会わせたときも、
皆「こんな子ですが」というのに、
唯一真っ直ぐ、私の事、
私のご飯の事を褒めてくれた、私の味方でした。

過去形になってしまったのは、
親を残して、
従兄弟が30台で早逝してしまったからです。

本当に、
なんで、もっとおいしいお弁当を作ってあげなかったんだろう、

なんで、彼からもらったキーホルダーが壊れた時に、「またもらえばいいや」
と、捨ててしまったんだろう。

なんて、人に後悔ばっかさせて、
ダメじゃん。

私が死ぬ時は、
いろんな人にそれぞれが好きだったものを、直に渡しに持っていきたいけど、

誰よりも彼に、
私が作れる全てのおかずを詰め込む勢いの、ごまかしのない、
材料にお金をかけた
大きなお弁当を渡しに行きたいです。
あの頃はごめんねって。

腕は上がってないけどねって、
テヘヘしながら。

いつから冷凍しようかな?


…なんか最近また、noteでの走馬灯高速回転してる気がします。 
忙しすぎるとなりがち。昨日もやばかった。

でも今回のは思った以上に
走馬灯に悲しさ喰らったなあ。







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