山のおとこは。

夏の終わりになると
思い出す。
あれは いつだっただろう
きみの文(ふみ)が届いたのは



寝袋は 天日に干したよ
靴には 脂を塗った
ザックやピッケルも点検した
冬の前に 行かねばならぬ
あの畑の柿の実の
大きくならぬ前に。
では
また
その時に。

ガレに足をとられ
辿り着くその場所は
幾度となく
行ったことのある
きみが
夢にまでみる
魔女との逢瀬

そこにあるキレットも
襲い掛かる雪崩の怖さも
知り尽くしながら
這いつくばり見上げる
それだからの
恍惚と戦慄。


魔女は
その裸身にまとった白いベールを
輝かせながら 笑みながら 
誘うのだ
空を衝く その美しさで

もう一度
もう一度だけ
その裾まででも 辿りつければと
きみは 書いてきた

やがて
風のいう
あのひとはもういぬと


槍ヶ岳の頂上で 腹ばいになり
嬉し気に 覗き込む息子の写真がある。
この文を 書いて来たひとは、槍穂高が
すきだった。
仲間と離れて危険な想いもした。

弱いひとたちへの眼差しが
陽だまりのようだった。
穂高。滋賀の武奈が岳。
とにかく 山を愛した。
幾度となく 穂高連峰は縦走したが 
再びの夢は 果たせなかった。
限りなく憧れながら。
槍は 岳人にとって 魔女である。

夏になると
この日常が 愛しく 大切で 
代えるものがないと 思い知る。
八月の焼け付く日。
熱い閃光。
戦争の残酷さと愚かさを
嫌でも思い知る
原爆の日。
世界で起こる争いを見ると 夏に限らぬように
なったが
広島と長崎は 厳然と究極の地獄を見せる。
一瞬の熱に焼かれて 影さえ姿をとどめぬ。
そこにあった暮らしを焼きつくした。
この日常を語ること。
そこに ひとが 生きていることを
語ること。
為政者を見極めること。
それが 市井の隅に住む
わたしにできること。
山を歩いたかのひとも 生涯  その愚かさと残酷さを
ペンに代えて 詩を綴った。






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