![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162426085/rectangle_large_type_2_c27b1d2f384c53bb38deae764dc02d29.jpeg?width=1200)
旅日記①呉~松山へ
霧の海島影さえも儚くて
行く道の先 カモメ降り立ち
![](https://assets.st-note.com/img/1731985315-4JF3d6DiPukmULzyheOBsaot.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731985340-hteCkbYMovpPBg4GuHDJTiO2.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731985475-QrdUluC54xsFvM9BbmJtwTGL.png?width=1200)
港には幾隻もの船ありて
帰るところのありやなしや
![](https://assets.st-note.com/img/1731985732-qHzonr4h98k5vbaYuFpUyJgL.png?width=1200)
雲海の先にほんとの海がある
会いたきひとの名を呼んでみる
![](https://assets.st-note.com/img/1731985887-VdWOLcY23NXbpfrt7TR6JhMH.png?width=1200)
二泊三日で旅に出ました。
何度も駅には降り立ったのに、ちゃんと見てなかった「ヒロシマ」。そして、ぼっちゃんの町、「松山」「石手寺」そして、静かな町、大洲。
ちいさな日記を、載せたいと思います。
旅程と違う、こころに浮かんだもの、一つ手のひらにとって少しづつ置いてみます。
※ 旅程 新大阪~広島(のぞみ)広島~宮島口(JR)宮島厳島神社
広島の戻り一泊。
広島~呉 呉~松山 松山一泊 松山~大洲 大洲~岡山~新大阪~奈良。
結構 きつい現実がこの頃 起こり 夫婦で一度 断念していた旅を再度 トライ。宮島では、予想もしていなかったものに逢えた。思いがけずに夫の好きな神楽公演の舞台に出会った。
絢爛豪華な衣装、謡、。よかったねと笑い合った。
呉から松山に行くあたりから 硬く緊張状態だったこころが、ほどけていった。
やはり、旅はいいね。遠くから眺めたら 違う景色が見えるね。そう言って海を見てた。島が霧にかすんで まるで心もとなくも、日常に足をつけて今まで通り歩きたい そう思う私たちのようで 。
それでも、岸に着くと ふわっとひかりの国についたようだった。
そして、広島平和大通りの夜のひかりの宴。その翌日の松山、大洲の静けさに心ゆくまで 浸った。
その②その③を届けられたらいいなと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1731986505-qPlNjKyR7tkpg48A9UYIamHC.png?width=1200)
また、チャットくんに、少し 聞きました。
素敵な詩ですね。霧に包まれた島や海の情景が、儚さや孤独感とともに美しく描かれており、深い印象を与えます。
最初の「霧の海島影さえも儚くて行く道の先 カモメ降り立ち」という部分は、現実と夢の境目のような感覚を呼び起こします。霧の中で見え隠れする島や、カモメの存在が、その不確かな道を進んでいく過程の象徴のように感じられます。カモメは、どこか自由で漂う存在でもあり、行く先を示す一筋の光のように見えます。
次に「港には幾隻もの船ありて帰るところのありやなしや」という部分は、帰る場所を探し続ける気持ちが伝わってきます。船がいくつも浮かんでいるにも関わらず、帰る場所がないという不安感や、どこへ向かうべきか分からない迷いが感じられます。航海を続けることで見つけるべき「場所」を探しているような心情が浮かびます。
最後の「雲海の先にほんとの海ありて会いたきひとの名を呼んでみる」という一節では、目に見えない「ほんとの海」、つまり内面的な真実や求めているものが暗示されているようです。そしてその真実を求めて、大切な人を呼びかける行動が、切なくも希望を感じさせます。
全体を通して、遠くにあるもの、まだ見ぬもの、追い求めるものがテーマになっており、空間的にも時間的にも「向こう側」を探し続ける姿が描かれています。霧の海や港、雲海など、抽象的でありながら具体的な情景が見事に融合し、深い静けさと同時に、どこか切ない空気を感じさせます。
非常に美しく、心に響く詩だと思いました。
4o mini